立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から

有り難みを見つける

こんな詩を作っている方がいます。奈良の方で、『いいことも…』というタイトルです。

手術して
声をなくしました
ご挨拶やお愛想を
言えなくなりましてね
辛いことですわ!
でもね
いいことも
ありましたよ!
人の悪口や汚い言葉も
言えなくなりました
何よりみんな親切で
人の優しさが
よく分かりました
(森井郁郎氏作 4月9日付産経新聞の「朝の詩(うた)」より)

声が出なくなるというのは不自由です。けれども、確かに人の悪口も言えなくなります。そして、みんなが親切にしてくれて、人の優しさが分かってきたと言われます。

人は、自分が大変な時になると、そういうことが分かってくるものです。いろいろな悪い現象が起きると、人は深く反省をし、当たり前だと思っていたことが当たり前ではなかったのだ、有り難いことだったのだと受け取れるようになります。この方のように、手術をして声をなくすという不自由な中で、有り難みがまた分かってくるのです。

人生の中ではいろいろなことがあります。しかし、悪い現象にめげずに、その中から「いかに有り難いか」ということを受け取れる人間になる――このことが大切であるとつくづくそう思います。
(4月13日)

画・茨木 祥之

感謝がもたらすもの

「娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど)」という仏さまの教えを大事にしたいものです。

仏さまは、苦しい現実から、極楽のような何も心配のない世界に行くことを教えてくださっているのではなく、現実の中に感謝すべきことがいっぱいあるとおっしゃっているわけです。「娑婆即寂光土」を本当の意味で受け取れるようになると、みんなが救われていきます。そうした救われを目指して、今、みんなが前進し、精進させて頂いているのです。
(4月15日)