立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から

庭野会長はコップに水を半分注ぎ、この現象に対して、「水が半分しかないと文句を言う」「半分も入っていてうれしい」「誰かが半分残してくれて有り難い」という見方があると例示。本来、現象には意味合いはないものの、人は意味合いをつけると述べ、「一つ一つの出来事を純真に、素直に、有り難く受け取れる人間になれたら、人生そのものが有り難いものになる」と説いた(4月13日)

4月に大聖堂で行われた式典、大阪教会訪問から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

自分を愛し、敬う

私たちが人としていのちを頂き、仏さまのみ教えを頂いて、それを実践させて頂いている――そうした一人の人間として生きている自分自身を、いつも愛しなさい、敬いなさいと道元禅師はおっしゃっています。

日頃、私たちは、「人を愛する」「人を敬う」ことはするのですが、「自分を愛する」「自分を敬う」ことをなかなかしません。

しかし、人間はみんな尊いいのちを頂いていることに気づくと、自らを愛し、自らを敬えるようになります。その心ができて初めて、本当の人間としての人格が具(そな)わったことになると道元禅師は見ておられて、「自らも愛すべし、自らも敬うべし」という尊い言葉をくださっているのです。そのことをしっかりと受けとめ、日頃、実践させて頂きたいものです。
(4月1日)

相手の立場で

人間とは元来、自己本位の立場から物事を考えるように生まれています。それは、人間のみならず、全ての生物に共通する一種の自己本能と言ってもよいかもしれません。つまり動物などを見ると、あまり相手のことなど考えていないようです。とにかく、わが身を守らねばならぬということが、全ての生物に最も深く根ざす本能といえます。

ところが、人間の場合には、そのように簡単ではないと思います。何となれば、私たち人間は、社会的な生き物、生物であり、自分一人では到底生きてはいけないからです。すなわち人間は、お互いに「持ちつ持たれつ」というわけです。もし私たちが、いつも相手の気持ちを無視して、自分本位の生き方をしていると、社会はそれを許さないでしょう。

私たちが人間として生きていく上で、最も大切な心がけの一つは、相手の立場になって物事を考えることです。これが「思いやり」ですが、言い換えると、相手の立場を考え、相手の気持ちを察することです。こうした「思いやり」を、さらに深めていくと、仏さまのお慈悲というところに行き着きます。
(4月1日)

【次ページ:「有り難みを見つける」「感謝がもたらすもの」】