年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

菩薩道を歩むことは、仏さまが最も願われている人間の生き方

こうしたことを踏まえ、私は、これまで皆さまに「仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈しみ思いやるこころ、人間本来のこころ〈明るく 優しく 温かく〉を持って、菩薩道〈人道(じんどう)〉を歩んでまいりましょう」とたびたびお伝えしてきました。

この菩薩道を歩むことが、法華経を通して仏さまが最も願われている人間の生き方です。

菩薩とは、仏の教えをよく信じ、理解をして、仏の境地に向かって精進する決心をした人々のことです。言い換えるならば、菩薩は、仏の心を自分の心としようと励む人々のことです。そして、菩薩の生き方の原動力は、慈悲であると教えられています。

一人ひとりが、菩薩になることを目指していくには、何よりも、自己流ではなくて、仏さま流とでも申すべき「ご法の習学」を欠くことができません。

「習学」の「習」の字は、「羽」の下に「白」と書きます。「羽」は鳥の羽、「白」は鳥の胴体を示す象形文字で、雛鳥(ひなどり)が成長し、巣離れする頃になると、親の真似をして、何度も羽を広げてはばたき、飛べるように稽古する姿を表しています。

巣立ちを目指す雛鳥のように、日々、仏の教えを正しく会得(えとく)し、それを自分の日常生活と照らし合わせて考え、このことを絶えず繰り返す――それを通して、次第に仏の心に近づいていくのです。

そうした日々の歩みを親鳥のように見守り、支えてくれるのがサンガにほかなりません。同信の仲間がいることによって、励まされ、教えられながら、安心して修行できるのは、本当に心強く、有り難いことです。

ただ、初心の方の中には、「自分はそんなに立派な人間ではないので、とても菩薩になれそうもない」と尻込みしてしまう人もいるかもしれません。

もちろん人間は誰もが、貪(むさぼ)り、怒り、愚かさなどの煩悩(ぼんのう)を具(そな)えています。そして普通、煩悩は悪であり、あってはならないと受け取りがちです。しかし実は、煩悩によって生じる悩み、苦しみがあるからこそ、それを何とか解決したいと、菩提(ぼだい)〈=悟り〉を求める心が起こるのです。

つまり煩悩と悟りは一つであることに、気づく、気づかせてあげることが、非常に大切なポイントであります。

また同時に、人間は誰もが、仏さまと同じ慈悲の心を具えていると教えられています。

悩んでいる人の相談に乗って、相手が救われると、自分のこと以上に大きな喜びを感じることがあります。人知れずゴミを拾ったり、募金に応じたり、乗り物で席を譲ったりすると、何ともいえない清々(すがすが)しさを感じます。それこそ、仏さまと同じ慈悲の心が具わっている証(あかし)です。

一人ひとりに具わった可能性を信じ、自らが菩薩として生きていこうとする歩み、さらには一人でも多くの菩薩を育てていく歩みを、地道に進めていきたいものです。

さて、皇位継承に伴って、本年四月末、「平成」の時代が幕を閉じます。「平成」という元号は、「内平(うちたい)らかに外成(そとな)る」という中国の古典の言葉が由来の一つとなっています。国も人間も、その内側、内面が平和で穏やかであれば、それは外的な世界に形となって現れてくるという意味合いです。

「平成」の時代に生きてきた私たちは、そうした元号に込められた精神をしっかりと踏まえて、日々の生活にいかすことが肝心(かんじん)です。

人間の現実世界の問題は、誰かが救ってくれると思って、それを待っていたのでは、解決されません。仏さまが、地涌(じゆ)の菩薩に法華経の弘通(ぐつう)を託されたように、現実の世界で悩み、苦しみながら、懸命に生きている名もなき人々の行動によってのみ、解決されると教えられています。

ですから、自分を決して卑下(ひげ)せず、仏さまの教えを信じ、理解をして、慈悲の心で菩薩道を歩んでいく――それが、私たちの精進の目標であり、法華経の主題であります。

このことを深く心に刻み、今年も皆さまと手を携えて前進していきたいと念願しています。