立正佼成会 庭野日鑛会長 5月の法話から
5月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)
自らに合掌
立正佼成会では、開祖さまが実践されたように、人と会うと、まず合掌・礼拝(らいはい)をします。それは一見、形だけのような感じもしますが、形を実践することによって、私たちの心も、だんだん調(ととの)っていくと言えます。形を通して、私たちの心も育っていくという意味で、形だけでもいいから、人と会ったら、合掌・礼拝をすることが大切です。
さらに、人さまを敬うことは、自分を愛し、敬うことに通じます。自分を敬うことがあって初めて、他の人を本当に敬うことができます。他を愛し、敬うことの基に、「人間としてこの世に生んで頂き、今、生きている自分」を本当に尊重する――その人にして初めて、人を尊重することができるのです。
「自分を尊ぶ」と言うと、「とても自分を尊ぶなんて思えない」という気持ちになることも多いのですが、「自分を尊ぶ」ことは、他に威張ったり、他を冒したりすることではありません。自分の尊厳を知る者であって初めて、他の尊厳を知り、他を尊ぶことができます。
ですから、私たち一人ひとりが、常不軽菩薩の、「人を見れば、礼拝をされた」という、人を尊ぶ、人を尊敬する精神を受け取って、人と人とが敬うことができたら、本当にこの世の中は平和になっていきます。
(5月1日)
「水」のように
日蓮ご聖人の信仰の姿勢として、法華経を信じるのに、「或(あるい)は火の如(ごと)く信ずる人もあり、或は水の如く信ずる人もあり」という言葉があります。
「ご法を聴聞する時は、本当にすごい教えだと、燃え立つばかりに聞いているけれども、いったん、家に帰ったりすると、その信仰を捨ててしまうようなことがあるのだ」と言われるのです。燃えるような熱い信仰も大事だけれども、水のように不退、退かない、火のように燃えはしないが、静かに続けていく――そういう信仰姿勢が、本当は一番大事なんだという意味の言葉です。
火の如く熱い信仰は、とても大事なように思いますが、冷めてしまうことがあります。これに対し、水は、いつもさらさらと静かに流れていき、いつまでも続き、「永遠」という意味も、そこに込められています。
私たちが法華経を行ずる所は、日常の生活の中、自分の家庭、あるいは職場です。その場その場で実践することが、在家仏教徒である私たちの実践です。特別にすごいことをするよりは、自分の日常生活の中で一つ一つ実践していく。家族同士が本当に敬い合い、合掌・礼拝することが、大事な信仰の姿勢であることを、日蓮ご聖人さまが教えてくださっています。
(5月1日)