バチカンから見た世界(177)文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

-「平和の神学」を説き続けるレオ14世(6)-

同じキリスト教でありながら、トランプ大統領やプーチン大統領を支える神が勝つのか、それとも、ローマ教皇レオ14世が他の諸教会と結束して説く神が勝つのか——という論争は、聖アウグスティヌスが、崩壊していく西ローマ帝国の例を挙げながら示した「地上の国」の論理だ。キリスト教徒は、世界史の中で既に実在し、「地上の国」と同時進行する、永久の愛の国である「神の国」に心と眼を向けて、地上を巡礼していかなければならない。世界史が、いずれかは、神による愛の業(わざ)である宇宙創造の秩序である平和と、その中における人間の救いに向けて収束されていくからだ。

この聖アウグスティヌスが説く人類救済史に沿って、教皇レオ14世は今年の1月19日、現在の「地上の国」の状況をバチカン付外交団に向かって分析した。教皇は、現在の世界状況が、西ローマ帝国崩壊期(5世紀)の状況とよく似ていると指摘した。西ローマ帝国崩壊期と現代が、「社会を根底から揺り動かす移民(民族移動)、深い地政学的な均衡(西ローマ帝国を世界の中心とした)の推移、それに伴う文化的転換によって特徴付けられ、教皇フランシスコの言葉を使えば、『事の変革期ではなく、時の転換期』であった」と言う。現代は新しい時代に突入しており、最大の憂慮は「国際レベルでの多国間主義の衰退」であると、教皇は注意を促す。対話と、皆の合意を促進する外交に取って代わって、単独国家や同盟諸国による「力(軍事力)の外交」が台頭してきているからだ。その結果として、「戦争が通常の手段として回帰し、好戦的な風潮が拡散しつつある」。第二次世界大戦後に定められた、他国との国境線を武力によって侵攻することを禁じた原則が踏みにじられ、人間の間の最も完全なる正義である、神によって定められた秩序としての平和が追求されなくなり、その代わりに、自身の支配を主張するための条件としての平和が、武器を使って求められている。このような動向が、平和なる市民共存の基盤である法治を危機に陥れているという。

「平和を求めない人はいない」との聖アウグスティヌスの言葉を引用する教皇は、戦争する人々が勝つことのみを求め、抵抗する相手を屈服させることによって、「栄光ある勝利」が得られ、彼らの望む「平和」が到来するとの考えに言及している。西ローマ帝国、すなわち、「地上の国」の存在理由が、ここにあったからだ。現代の地政学から見た、自身の望む平和を追求する「地上の国」は、「自国第一主義」を標榜(ひょうぼう)する国々のことだ。

この国家エゴが、人類を第二次世界大戦に突入させていったと分析する教皇だが、その灰燼(かいじん)の中から、われわれが創設80周年を祝ったばかりの国連が創られたとも指摘している。「51カ国の有志国の決意によって、今後の世界大戦の勃発を予防し、平和を守り、基本的人権の擁護や持続性のある発展を促進していくための、多国間協調の絆の掬(むす)びとして創設された国連」である。

そして、人類の定めた国際法の中でも、教皇は「国際人道法」をより重要視する。「展開される戦争の状況や、軍事目的、戦略からの影響を受けず」に、戦争という惨禍において「最小限の人間性を保持」していくために、各国が署名した国際法だ。破壊的な戦争の結果を和らげ、後に来る再建をも考慮に入れて、「病院、エネルギー関係のインフラ、民家、市民の日常生活にとって最低限必要とされる場などの破壊」を避けることが定められている。戦争にあっても、「人間の尊厳性と人間生命の不可侵権」が「国家利益に増して優先されなければならない」と強調する。ウクライナのエネルギー・インフラを攻撃し、一般市民を零下20度の厳寒の中で暖房なしに生活させることによって士気の低下を図り、イランやレバノンの病院、学校、エネルギー関係のインフラ、海水淡水化施設などを攻撃することは、国際人道法に反するのだ。その中には、諸宗教の礼拝、関連施設への破壊も含まれる。20世紀までの戦争は、軍隊の間で戦われていたが、21世紀に入ってからは、軍隊が武器を持たない一般市民と、彼らの生活に最低限必要なインフラを標的にすることによって、敵対国民の抵抗力を低下させて降伏を迫るという、より残酷なものとなった。「地上の国」の各地で、「戦争地獄」が発生している。だから、教皇は、戦争にあっても「最低限の人間性を」と叫び、国際人道法の遵守(じゅんしゅ)を訴えている。

そして、人類に国際人道法を遵守させるためには、国際法の執行機関である国連と、多国間主義が必要となる。「地政学的な緊張、不平等、気候危機」といった複雑な問題に対処していかなければならない現代世界にあっては、国連が対話と人道支援を推進していくために、欠かせない役割を果たす。しかし、その役割は、第二次世界大戦直後ではなく、現代世界の状況に即応したものでなければならない、と教皇は主張する。「イデオロギーではなく、諸国民家族(人類)の一致へ向けた政策を推進していく」ための国連改革が必要だ。

バチカンでは3月29日、キリストが受難し、十字架上での死を迎え、復活していくプロセスの開始を追憶する「枝の祝日」のミサが執り行われた。受難へと向かうためにエルサレム入りしたキリストを、市民たちが「棕櫚(しゅろ)の枝」を振って迎えたことに由来する。人の救いのために十字架上での死を選ぶキリストの真意は、彼らには、いまだ理解されていなかった。教皇レオ14世は、「枝の祝日」のミサ中の説教で、「私たちの神、キリストは、平和の王様だ。戦争を拒否する神であり、誰といえども、戦争を正当化するために(彼の名を)使うことはできず、戦争をする者の祈りに耳を傾けずに払い除ける。『おまえたちが、どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。おまえたちの手は血に染まっている』(イザヤ書1章15節)からだ」と述べ、間接的にではあるが、キリスト教を国家イデオロギーとして使い、ウクライナへ侵攻したり、イランを攻撃したりする、自国第一主義を糾弾した。

ローマ市内では同28日、「NO KING(トランプ大統領)DAY」と呼ばれる、米国・イスラエルによるイラン攻撃に反対する抗議デモが展開されていた。