バチカンから見た世界(157) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇は、彼らと会う前の日曜日、正午の祈りの席上で、「一人ひとりの人間は、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラーム、どの民族、宗教に属していようとも、神の眼にとっては貴重な存在であり、平和のうちに生きる権利を有する」と発言した。バチカン報道官のマテオ・ブルーニ氏は、教皇と両グループの出会いを、「教皇フランシスコが、人道的視点から、苦しむ双方に霊的連帯を表明することを望んだ」と説明した。

そして、一般謁見に臨んだ教皇は、スピーチの後半部分で両グループに会ったことを報告。「双方が本当に苦しんでいることを(彼らから)聞いた。これが、戦争の業だ。だが、(イスラエルとガザでの)現状は、戦争を超えてしまっている。これは、もう戦闘ではない。テロ攻撃だ」と糾弾した。

イスラエル軍とハマス間で展開される攻撃を「テロ」と呼んだ教皇の発言に対し、イタリアのユダヤ教共同体「ラビ府」は、「教皇が公の場で、イスラエル、ハマスの双方をテロとして非難した。カトリック教会最高指導者による公式見解の公表に加え、カトリックの有力指導者たちが、ハマスによる攻撃を非難せず、(双方の間での)公平を理由に、攻撃者(ハマス)と被害者(イスラエル)を同等の立場に置いている」と非難する声明文を公表した。

さらに、ラビ府の指導者たちは、教皇が両グループと同じ日に会った事実を指摘。「家族から引き裂かれた無実の人質(イスラエル人)家族と、重大なテロ攻撃を犯してイスラエルの刑務所に拘束されているパレスチナ人の家族」を同等に見ているとも非難した。

さらに、「この数十年間、友情と友愛についての対話が、ユダヤ教、キリスト教間で展開されてきた。だが、ユダヤ教徒抹消の試みがなされている時、彼らに対する連帯と和解の表現が、(バチカンの)曲芸外交、均衡主義、冷たい同間隔主義であるならば、(対話は)何の役に立ったのか」と、厳しく批判した。

パレスチナ人家族の一人が、教皇との出会いの後、「謁見中に教皇がガザでの状況を“民族虐殺”(ジェノサイド)と呼んだ」と発言し、問題になった。だが、バチカン報道官のブルーニ氏は、「教皇はジェノサイドという表現を使わなかった」と否定した。

バチカン国務省長官のピエトロ・パロリン枢機卿は昨年、「バチカンは、イスラエルが受けた恐るべき攻撃を明確に非難する立場を公表している」と表明。一方、「(多大な死者と負傷者、破壊をもたらされた)ガザの(パレスチナ人の)状況も忘れてはならない」と反論した。「教皇は、言いたいことを明確な形で発言する。ただし、彼ら(ユダヤ教徒)が望むような形で言うわけではない」とも主張した。

イタリアの「ANSA通信」は4月19日、イスラエルのメディアを引用しながら、「米国は、イスラエルのネタニヤフ首相、ガラント国防相、イスラエル国防軍のハレヴィ参謀総長に対して、国際刑事裁判所が一週間以内に発令する可能性のある逮捕状の回避という絶望的な試みに巻き込まれている」と報道した。