バチカンから見た世界(154) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

自叙伝と併せて、4月3日には、スペイン人記者の協力を得てまとめられた教皇のインタビュー本『後継者』が出版された。名誉教皇ベネディクト十六世を追憶する同書の中で、教皇フランシスコは、教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去により招集された、自身の枢機卿任命後初の教皇選挙(2005年)で、「教皇ベネディクト十六世の選出を阻止するために自分の名が使われた」と記している。

その選挙で、「私は115票のうち40票を得たが、それは、私を教皇にするためではなく、(票割れによって)ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(教皇ベネディクト十六世)の選出を阻止し、第3の候補者を擁立するため」だったのだ。この駆け引きにより、教皇選挙は2日目の第2回、第3回投票へと展開され、第3の候補者に関する合意がほぼ成立していたという。

この動きに気づき、ラッツィンガー枢機卿を教皇候補として支持していたベルゴリオ枢機卿は、コロンビア人の有力枢機卿に「私の名前を軽率に使わないでほしい。こんな駆け引きにはもう応じない」と伝えたのだった。

結局は、予想通り、ドイツ人のラッツィンガー枢機卿が新教皇に選ばれ、ベネディクト十六世を名乗った。教皇フランシスコは、「当時、私が選ばれていたら、カトリック教会に害をもたらすだけだった」と述懐する。「ヨハネ・パウロ二世のように、ダイナミックで、最も活動的、実行的で、世界を駆け巡った教皇の後には、健全な均衡を保持できる教皇、未来に向けた橋渡しのできる教皇が必要とされていた」と分析する。

コロナ禍の最中では、「すぐにワクチン接種を予約し、その後も続けて受けた。幸いにして感染しなかった」と述べているが、「他の理由(肺、気管支、消化器官の疾患)で何回も入院していた時、(バチカン内では)政治により強い関心を示し、あたかもコンクラーベ(教皇選挙)が迫っているかのように考え、選挙活動を展開する聖職者がいた」と指摘。彼らの間に蔓延(まんえん)する「人間的な側面」を皮肉った。「教皇が入院すれば、いろいろな噂(うわさ)が流れ、自身の利益やマスコミへの影響力を考える聖職者が出てくる」「幸いにして、困難に遭遇しても、生前退位について考えたことはなかった」とインタビュー本に記している。