バチカンから見た世界(153) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇が自叙伝を刊行(3)―前教皇の生前退位後、権力闘争による教会分裂の危機に苦しんだ教皇フランシスコ―

1982年からのフォークランド紛争(マルビナス戦争)に敗北したアルゼンチン軍事独裁政権は、国民の支持を失い崩壊した。85年には、同政権によって殺害、拉致されて行方不明となった人々を弔い、彼らの正義を求めると同時に、軍政幹部の責任を追及する裁判が開始された。

軍政との真っ向からの対立を避け、内部に軍政を支持する聖職者をも抱えていた同国カトリック教会も、当然、裁判所の捜査対象となった。ローマ教皇フランシスコは、自叙伝の中で、「私が軍事独裁政権にどれだけ抵抗したかを無視する左翼分子からの報復攻撃が、つい最近まで続いた」と述懐。「2010年11月8日には、軍政の責任を追及する裁判所から証人として召喚され、4時間10分にわたり尋問された」「当時の政権が、あらゆる方法で私の首に縄をくくる試みをしていたと後に知ったが、何の証拠も見いだせなかった」と回顧している。

軍政時代に40代だったベルゴリオ神父(教皇の俗称はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、イエズス会のアルゼンチン管区長(1973~79年)を務めていたが、国内カトリック司教会議のメンバーではなかった。彼が、国で最も重要なカトリック司教区であるブエノスアイレスの大司教に任命されたのは2000年のこと。そして、同司教会議は、「神の前で私たちが犯した過ちを告白する」との声明を発表し、軍政に抵抗しなかったことを国民に謝罪した。

イエズス会の管区長を務めていた頃、内部から「指導があまりに独裁的で、超保守主義者」との批判を受け、一時、コルドバのイエズス会士養護施設への左遷も体験した。「自身の殻に閉じこもり、軽いうつ状態にあった時期」と当時を披歴し、その体験から「より弱く、より貧しく、最底辺にいる人々に奉仕することが、神に仕える人間、特に、教会の頂点に立つ指導者の責務」と学んだという。