バチカンから見た世界(125) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

2人の教皇のカザフスタン訪問――米国同時多発テロからウクライナ侵攻へ

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世がカザフスタンを訪問したのは、米国同時多発テロの発生から10日後、2001年9月22から25日にかけてだった。東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊し、人々が世界平和の到来を信じていた3千年紀の始まりに、世界で宗教の名を語った暴力、憎悪、戦争、テロ、報復が扇動され、世界は「文明の衝突」を叫ばれる暗黒の歴史に逆戻りしていった。

米国同時多発テロという悲劇の直後、中央アジアのカザフスタンを訪問したポーランド人の教皇は、首都アスタナ(現ヌルスルタン)から「希望の種を蒔(ま)く」とメッセージを発し、その翌年には、「暴力とテロによって攻撃され、より弱くなった世界の再建」を目的に、世界の諸宗教指導者に呼びかけ、イタリア中部にある聖都アッシジで「第2回世界平和祈願の日」(第1回は1986年)を開催した。そして、教皇ヨハネ・パウロ二世が提唱した「アッシジの精神」を継承していくため、カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ初代大統領が2003年、アスタナで「第1回世界伝統宗教指導者会議」を開催した。

その第7回が9月14、15の両日、ヌルスルタンで開催された。第1回に参加した使節団は17だったが、第7回となる今回は50カ国から108の使節団が参集。教皇フランシスコをはじめ、イスラーム・スンニ派最高権威機関「アズハル」(エジプト・カイロ)のアハメド・タイエブ総長、イスラエルのラビ長(ユダヤ教)であるデーヴィッド・ラウ師、ロシア正教会モスクワ総主教区大主教のアントニー・ヴォロコラムスク外務部長をはじめ、イスラーム、キリスト教、仏教、道教、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、神道の代表者たちが出席した。

カザフスタン訪問前の12日、ローマ市内の教会にある「聖母画像」の前で祈る教皇(バチカンメディア提供)

第1回が米国同時多発テロ後の世界を背景に開催されたのに対して、第7回は「ウクライナ侵攻」への対応を迫られた。カザフスタン外務省多角協力関係局のディダール・テメノフ長官は、「宗教指導者たちは世界の紛争解決に向けて大きな影響力と権威を行使できるが、さらに重要なのは、異なる諸宗教間、各国間での対話促進に向けた貢献だ」と、今回の会議を位置付けた。

現地に到着した教皇は9月13日、政府、市民社会の代表者、同国付け外交団に向けて最初のスピーチをした。この中で、「対話と一致を求める平和の巡礼者」としてカザフスタンに来たと訪問の目的を説明。他民族、多言語の人々で成り立つ同国は「出会いの国」であり、その視点から「世界伝統宗教指導者会議の重要性」を強調した。

さらに、政治指導者たちに対して、「共通善(公共の利益)を民主主義によって実現していくように」と促し、「諸国民の安定と福祉を脅かし、台頭する過激主義、個人崇拝主義、ポピュリズム(右翼勢力による大衆扇動主義)に対して、真に民主的な政治形態が効果を発揮する」と主張。教皇ヨハネ・パウロ二世が米国同時多発テロ直後に同国を訪問した意義を披歴し、「狂気的、悲劇的なウクライナ侵攻の渦中にあり、現代を危機に陥れるさまざまな衝突や紛争の脅威が進む中で、私はカザフスタンに来た」と述べ、両教皇のカザフスタン訪問が「繰り返す歴史」の中で行われたことを指摘した。

そして、「私たちは、国際レベルで諸国民が理解し合い、対話することを可能とする政治指導者を必要としている」と訴え、「全欧安保協力会議」が1975年に採択した「ヘルシンキ宣言」に倣い、「新しい“ヘルシンキの精神”が生まれてこなければならない」と述べた。これは、「多角主義を強化することで、新世代のために、より安定し、平和的な世界を構築」していくことなのだ。

「ヘルシンキ宣言」は、国家主権の尊重、武力行使の破棄、国境の不可侵、領土の保全、内政不干渉、信頼の醸成、そしてバチカンの提唱で挿入された人権と信教の自由のほか、経済、技術、人道分野での協力を謳(うた)っている。