バチカンから見た世界(121) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
キリスト教徒間の戦争ではなく“姉妹なる諸教会と兄弟なる諸国民”
第二バチカン公会議(1962~65年)後、世界のキリスト教一致に向けた先駆者は、ローマ教皇パウロ六世とコンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)エキュメニカル総主教のアテナゴラス一世だった。二人のキリスト教指導者、特に、アテナゴラス一世が強く主張したモットーは、「姉妹なる諸教会、兄弟なる諸国民」だった。この標語が、ロシアによるウクライナ侵攻と、ロシア正教会の最高指導者であるキリル総主教による侵攻の宗教的正当化で、預言(神の意志を人々に伝える言葉)としての意味合いを帯びてきた。
ローマ教皇フランシスコは6月30日、前日の「聖ペトロ・聖パウロの祝日」にあたりバチカンを訪れたコンスタンティノープルの正教エキュメニカル総主教区使節団と謁見(えっけん)した。この会合は、バチカンで毎年恒例となっている。
教皇は、使節団へのスピーチの中で、「世界が野蛮で無意味な侵略戦争(ウクライナ戦争)に動揺し、多くの(ロシア人とウクライナ人の)キリスト教徒たちが戦い合っている」と分析した。だが、「軍事制圧、勢力拡大政策、帝国主義は、キリストが説いた(神の)王国とは何の関係もない」と明示し、キリスト自身が「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイによる福音書26章52節)と戒めていると指摘した。
キリストの王国は、当時のローマ帝国軍と戦う天使の軍団によってではなく、十字架上の死という「逆説」によって到来するものなのだ。
キリル総主教は、ウクライナ人とロシア人がウクライナのドニエプル川で988年に同じキリスト教の洗礼(“ルスの洗礼”)を受けたのだから同じ民族だと主張し、片方(ウクライナ人)が退廃した西洋文明や軍事機構(北大西洋条約機構=NATO)に近づくのを阻止するため、ロシア軍によるウクライナへの侵攻が必要だと正当化する。軍事介入は、同じ民族であるウクライナ人を“救う”ための試みだという。
神学的な観点から考察すれば、キリル総主教のメッセージは、聖書の背景となっているローマ帝国軍と軍事力で対抗することであり、聖書の説く“十字架上の逆説”によって人類を救うことではない。むしろ、分裂しているキリスト教諸教会、地球上のさまざまな民の間に「姉妹関係と友愛を構築」していくことが、「十字架上の逆説」なのだ。
そのため、教皇は、コンスタンティノープルからの使節団に対し、キリスト教の一致を、「キリスト教内部だけの問題ではない」「全ての人々に対して実行される正義と連帯によって表現される、純粋で普遍なる友愛の実現に向けた必須条件」と強調した。キリスト教の一致が、人類の友愛という枠内で実現されていかなければならないということだ。