バチカンから見た世界(120) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

さらに、翌18日には、欧米の文明を「人々の情欲を満足させるための虚飾のイデオロギーと大衆文化」と批判。「ロシアの有する過去の伝統的価値観が、国家の未来を構築するための戦略的な政策になる」と主張した。その中核となるのが、欧米の大衆文化である映画などが軽視する、男女で構成される伝統的な家庭制度の擁護だ。こうした昔のロシアを想(おも)うキリル総主教の主張は、ロシア帝政時の「一大ロシア」の復興を目指すプーチン大統領の夢と重なる。

そのため、同総主教は、ウクライナへの侵攻をロシア国家と文明のルネサンスを守るための聖戦と解釈。「(ロシア)正教の文化と基本的な教えが日常生活から切り離されてはならず、私たちの生活が聖人や現代の素晴らしき人々の模範によって満たされるべきである。そのためには、戦場で父なる大地(ロシア)を守るために、命を犠牲にしている英雄たちからも学ぶよう、子供たちを教育しなければならない」(5月23日)と訴える。戦場の英雄とは、ウクライナに侵攻しているロシア軍兵士たちのことだ。彼らにまつわる戦争犯罪の疑惑は、欧米諸国によるプロパガンダに過ぎないのだという。

しかし、ウクライナの東方典礼カトリック教会(ギリシャ系)の最高指導者であるスヴィアトスラフ・シェヴチュック首位大司教は、キリル総主教の語る一連の説話に対し、「ウクライナ戦争をキリスト教道徳の視点から正当化する行為は、イスラームを名乗るテロ組織によって標榜(ひょうぼう)される論理と似ている」と非難する。また、ウクライナ人とロシア人が何世紀にもわたって共存してきた事実を知る多くの人々にとって、現在のウクライナ戦争は「不可解」であるとも話す。

さらに、欧米諸国に増大する「ロシア恐怖症」に駆られるNATOが、ロシアの弱体化を試みているといった理論から、「神の掟(おきて)を蹂躙(じゅうりん)する同性愛や同性愛者の権利を擁護する欧米の世俗主義に対する聖戦」としてウクライナ戦争を正当化するのは、「キリスト教のメッセージをロシア国家のイデオロギーのために利用している」と糾弾する。なぜなら、宗教を基盤として戦争を正当化することは、「文明の衝突論」を基としてキリスト教文化である欧米諸国に対しテロを行ったイスラーム国を名乗るテロ組織の考え方に極めて近いものだからだ。

シェヴチュック首位大司教は、ウクライナ社会が欧米文化の影響を受けて反キリストのイデオロギーを押しつけられているとキリル総主教が判断し、ウクライナ戦争を欧米文化の(非)道徳性に対する形而上学的な戦いと主張していると指摘。「ウクライナという国家を抹消し、ウクライナ人を殺すという、狂気に走っている」と厳しく非難した。

ウクライナ正教会モスクワ総主教区派は27日、「キリル総主教の立場に同意できない」との理由で、「ロシア正教会との、あらゆる絆を断ち切り、独立する」と宣言。ロシア正教発祥地(ウクライナ)の正教会が、モスクワ総主教区から離脱した。