バチカンから見た世界(106) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇は、過激主義による暴力は、宗教心から生まれるものではなく、宗教の悪用であると非難。「イラクの空はテロや戦争、暴力という暗雲に包まれた」という言葉で悲劇を悼み、「北部では(過激主義者によって)素晴らしい宗教遺産の一部が破壊された」と惨状を指摘した。しかし、同地では現在、キリスト教徒とムスリム(イスラーム教徒)の若者が協力し、教会やモスク(イスラームの礼拝所)の修復に向けたボランティア活動が展開されており、教皇はこの現状に喜びを表し、宗教的な聖域が「地上において、郷としての天への思いを呼び起こす最良の場」であると説明。さまざまな地で天に向かう祭壇を築いた祖師アブラハムによって、「それぞれの宗教の聖域が平和のオアシスとなり、皆の出会いの場となるように」と願い、祖師の足跡をたどる同集いが「イラク、中東を含む全世界の祝福と希望のしるしとなっていかなければならない」と語った。

その意味することとして教皇は、神から命じられ、全てを捨ててウルから約束の地へ旅立ったアブラハムの姿が、「際限のない神の愛を受け入れて他の人々を兄弟としてみなすことを、(“私たち”という意識によって)妨げる(そうした)呪縛と執着からの解放」の出発点であると説いた。排他的に働く“私たち”という殻を壊すことが大事であり、新型コロナウイルスの世界的流行で明らかになったように、「誰も一人では救われない」という事実に気づく必要があると強調。利己主義、軍拡競争、排他主義、拝金主義、消費主義が人類を救うことはなく、「天が示す道が平和への道」であり、「他者に手を差し伸べる人がいなければ平和はない」「他国に対抗するための同盟が平和をもたらすことはない」と訴えた。

さらに教皇は、「平和は、勝者、敗者ではなく、兄弟姉妹を必要としている」と続けた。「(アブラハムのように)星を見上げ、神を信じる勇気のある人は、闘う敵を持たない」「唯一の敵は、私たちの心の入り口で待ち構え、侵入しようとしてくる“敵対心”だ」と述べた。

その上で、自身を含めたそれぞれの宗教指導者が「憎悪の手段を平和の道具へと変えていかねばならない」と強調し、各国の政治指導者たちに対して「増加し続ける軍事費を、全ての人に十分な食料が行き渡る資源とするよう強く要請していかなければならない」と訴えた。

このスピーチで、人間の心の奥底に潜む“敵対心”に対抗するために、他者を区別せずに人類全体を一つの家族(兄弟姉妹)と捉えるアブラハムの平和への道の重要性を示した教皇。集った諸宗教指導者に向けて、「この地から、人類家族が全ての神の子たちを温かく受け入れていく精神が涵養(かんよう)されるよう、(共に)その神の夢の実現のために努力し、同じ天を仰ぎ、同じ地の上を平和のうちに歩もう」と呼びかけ、スピーチを結んだのだった。

アブラハムの子孫(ユダヤ教、キリスト教、イスラームの信徒と全人類)の象徴として、夜空に浮かぶ無数の星を仰ぎながら、「宇宙船地球号」に乗って旅する人類という宇宙観は、キリスト教を超え、諸宗教、特に法華経の宇宙観に相通じる呼びかけとしても受け取れるものだった。