バチカンから見た世界(102) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
こうした事例報告を受け、トスカーナ州の医療制度当局(同国の国家医療制度は州単位で構成)は、集中治療室に運ばれた重症患者に対して、親族の訪問を許可する国内初の条例を公布した。回復した重症患者の多くが、治療を受けている時に最もつらかったのは「孤独であること」と証言しており、ある患者の娘も、「父は(孤独のあまり)気が狂いそうになり、死を思っていたけれど、私が治療室のベッドの傍らに座るようになってから、病気と闘う気力が湧いたと話した」と語る。また別の患者の息子は、71歳の母親の元を毎日訪れ、「手を握りしめるようになってから、母は生きるエネルギーと希望を見いだした」と話す。集中治療室の重症患者は、人工呼吸器の透明なマスクとヘルメットという“空洞”を通して、周囲の出来事を感知しており、親族との身体的な接触が生命維持の鍵を握っていると記事は伝える。
ローマ教皇フランシスコは1月12日、カトリック教会の「世界病者の日」(2月11日)に向けたメッセージを公表した。その中で、「良き治療のためには(人間)関係という視点が決定的な役割を果たし、それによって病者への包括的(全体的)なアプローチが可能となる。この視点を評価することは、医師、看護師、医療従事者、ボランティアを助けることになる」と述べた。
これらは私たちに、二つのことを教えている。一つは、人間は寄り添い合って生きる存在であり、“誰も一人では癒やされることなく、救われない”こと。もう一つは、集中治療室での生死を掛けた闘いとその苦しみを、「四諦(したい)の法門」に照らして洞察するならば、または、キリストが血の汗を流して挑んだ“十字架へ向けての道を歩む”とするならば、人間は神仏が説く“無量の慈しみ”と“無限の愛”を必要とするということだ。同ウイルスの感染拡大が収束した後の世界が良くなるか、あるいは、悪くなるかは、人間が自らに関するこの明確な実相を認知し、実践するかどうかにかかっている。