バチカンから見た世界(61) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

「文明の衝突」論――その過去と現在

イラン革命が起こる2年前の1976年、同国最後の王朝であるパーレビ朝の時代に、米・プリンストン大学教授だったバーナード・ルイス氏は、「政治の中核にイスラームを置くことを決意した過激派によってムスリム運動が扇動され、その運動による権力の台頭が迫っていると予告した」研究者として知られる。同氏が5月19日、101歳で亡くなった。

5月21日付のイタリア有力紙「コリエレ・デラ・セラ」は、「バーナード・ルイス、さようなら イスラーム過激主義の台頭を予告 文明の衝突を最初に予告した論理学者が101歳で逝去」との見出しで追悼記事を掲載。上記の一節によって彼の業績をたたえた。22日付のバチカン日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」も、「東洋学者 イスラーム歴史学者・バーナード・ルイスの死」との見出しで報道し、米・ニュージャージーで死去したルイス氏の多くの著書が「イスラーム文明の研究に関して一世代の学者に影響を与えた」との言葉を記した。

1916年にロンドンのユダヤ人家庭に生まれたルイス氏は、若い頃から中東の文明や文化に強い関心を持ち、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院に学び、研究を重ねる。その後、アラブ、トルコ、ペルシャの社会に身を置き、古文書、時にオスマン帝国時代の史料の解読や分析、解釈に没頭した。中東の語学に精通し、大量の原典の解読で培われた彼の緻密で正確なイスラームの歴史・文明に関する研究成果は、アラビア語にも翻訳され、この地域でも評価された。48年のイスラエル建国後、ユダヤ人学者であるために中東諸国への入国が困難になっても、研究と執筆活動を継続し、ロンドン大学教授を経て74年に米国に移住。米国籍を取得し、プリンストン大学教授として研究を続けた。ルイス氏は90年、キリスト教文明とイスラーム文明との間における「文明の衝突」を最初に予告した研究者だ。