バチカンから見た世界(53) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

フランシスコという名の力、教皇選出から5周年

3月13日は、ローマ教皇フランシスコが選出されて5周年の記念日だった。2013年のこの日、教皇ベネディクト十六世による600年ぶりの生前退位という劇的な状況の中で執り行われたコンクラーベ(枢機卿の互選による教皇選挙会議)で選ばれた。最初のアメリカ大陸出身の教皇であり、8世紀のグレゴリウス三世(シリア出身)以来となる欧州以外からの教皇であり、イエズス会が輩出した最初の教皇の誕生だった。

ここで、近年の歴代の教皇を振り返ってみたい。人間的な深いまなざしを持ち、教皇ヨハネ二十三世が開始した第二バチカン公会議を完了させ、カトリック教会の門戸を世界に向けて開放した教皇パウロ六世。柔和な笑顔で知られ、1カ月あまりという短い期間ながら大きな足跡を残したヨハネ・パウロ一世。世界を駆け巡って福音を説き、東西冷戦の壁を崩す立役者となった教皇ヨハネ・パウロ二世。神学者教皇として瞑想(めいそう)、祈り、読書、執筆や音楽を好み、生前退位という英断を実行したベネディクト十六世。こうした歴代の教皇に対し、現教皇フランシスコは、南米で生まれた「解放の神学」に基づく「貧者の選択」をカトリック教会の改革の根幹に置く教皇といわれる。

コンクラーベで教皇に選出される態勢が明らかとなった時点で、そばにいた親友のクラウディオ・フメス枢機卿(ブラジル人)から「貧者のことを忘れるな」と諭され、教皇となることを受諾した。だから、「清貧を自身の花嫁」と呼んだ、イタリア・アッシジの聖フランシスコにちなんだ教皇名にした。歴代教皇の中で、聖フランシスコを法王名として選んだのは、彼が最初だ。

バチカン日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」は13日、教皇フランシスコ選出5周年に際して1面に論説記事を掲載。この中で、「6年目へと向かう教皇による統治の初頭において、フランシスコという名に込められた力が明確になった」と記した。この記述は、名は個人のアイデンティティーであるだけではなく、その内に力を有するという、ユダヤ・キリスト教伝統の確信による。バチカン日刊紙は、アッシジの聖フランシスコが実践した「貧者との連帯」「平和の説教」「被造界(自然)の保全」の三つを、名に込められた力として挙げる。

従って、教皇フランシスコが、ここ5年間にわたって進めてきたカトリック教会改革の根幹には、この「貧者の選択」がある。格差が広がる世界経済のひずみ、断片的に各地で起きている「第三次世界大戦」、環境破壊や気候変動などによって貧しい人々がさらに苦しみ、難民や移民が急増しているが、カトリック教会のみならず、国際社会に向けて、彼らを受け入れるようにとアピールしてきた。路上生活者、住む家がない人々、身寄りのない老人、失業者、病を患った人々を不可視の存在として無視するような、「使い捨て」や「無関心」の文化を非難している。さらに、歴代教皇として初めて、教会内部で否定され、差別されてきた離婚経験者や同性愛者の人権が守られるよう主張した。カトリック教会は、社会で、時にその底辺で苦しむ人々を助ける「野営病院」でなければならないのだ。

社会における「野営病院」であるためには、自宅の玄関で人を待つのではなく、不便とされる地域に住む人々の元へ、社会的に虐げられた人々の元へ「積極的に出かける教会であれ」と叱咤(しった)激励する。地理的、社会的に厳しい条件の下にある人々こそ、福音の教えを必要としているからだ。即位後の最初の訪問地として、大量の難民や移民が漂着したイタリア最南端のランペドゥーザ島を選んだ教皇フランシスコは、難民や移民を生み出す紛争や気候変動といった諸問題の解決のため、キリスト教諸教会、世界の諸宗教間の対話と協力を呼び掛けてきた。