立正佼成会 庭野日鑛会長 8月の法話から

8月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

童謡を味わう

私は人生のいろいろな計画の中で「老計(ろうけい)」(老ゆる計りごと。いかに年をとるか)ということをお話していますが、その一環としてお話をしたいと思います。

「童謡」を歌うことは、年をとっている私たちにとっても、脳の働きをよくし、肺機能や免疫力を向上させ、認知症予防にもなるのだと言われています。幼い頃から口ずさんできたそうしたものを、心の故郷(ふるさと)として、年をとってからまた思い出すことがとても大事なようです。脳の活性化に役立つと言われています。

皆さんも知っている『赤とんぼ』という歌があります。『童謡えほん』(萩原昌好編、あすなろ書房刊)という本に、この歌のことが載っていました。

「夕やけ小やけの 赤とんぼ おわれて見たのは いつの日か」が1番です。2番が「山の畑の 桑の実を 小かごにつんだは まぼろしか」。3番は「十五でねえやは よめに行き お里のたよりも 絶えはてた」。そして4番が「夕やけ小やけの 赤とんぼ とまっているよ さおの先」という歌です。

この童謡を作詞したのは、三木露風(みき・ろふう)という方です。明治から昭和にかけて活躍した詩人で、北原白秋(きたはら・はくしゅう)と並んで、白秋の「白」と露風の「露」で「白露時代」と言われたほど、有名な方でした。

3番の「十五でねえやは よめに行き」という歌詞ですが、私は、どうしてここに出てくるのだろう、と、それまでさっぱり分かりませんでした。

この「ねえや」は、お母さんと離別した露風さんを育ててくださったおねえさんだったのです。「おねえさん」といってもきょうだいではない、よその人なんですけれども。その人がお嫁に行かれたということで、そうした悲しい、幼い時のことを思い出しながら、露風さんはこの詩を作った。そういう歌なんですね。作った人の環境や状況までを理解して、童謡を味わってみると、違った意味で本当に素晴らしい歌詞を作られたのだということが分かってきます。

写真提供・学林大樹グループ

また、『夏は来(き)ぬ』という歌があります。1番は「卯(う)花のにおう垣根に/ほととぎす早(はや)もきなきて/忍び音(ね)もらす 夏は来ぬ」。2番は、「さみだれのそそぐ山田に/さおとめが裳裾(もすそ)ぬらして/玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ」とあります。この歌の作者は、佐々木信綱(ささき・のぶつな)という有名な歌人です。

(1番の)「卯の花」から「夏は来ぬ」の前までは、みんな五・七・五・七・七という音数でできています。2番もそう、3番もそう。そしてどれも、最後に「夏は来ぬ」と付(ふ)してあります。歌詞の内容もよく味わってみると、日本の歌(短歌)、大和言葉の歌でできています。これらのことが理解できると、一つ一つの童謡が、そうした中で作られたのだということがよくわかり、面白いなと思います。

幼い頃に歌っていた日本の言葉で表現した童謡とか、明治、大正、昭和にかけて学校などで歌われた文部省の唱歌の内容を、高齢になった今、味わってみると、本当に素晴らしいものが多く、それを知らないで歌っていたという感じがしてならないわけであります。

「人生衰老(すいろう)し易(やす)し」と言われるように、私たちは、あっという間に老化してしまいます。ですから、「君等(きみら)匆々(そうそう)たるなかれ」――この日、この一生を忙しく、ただ慌ただしく過ごすな、という言葉もあります。私たちは、自分の来(こ)し方――今まで過ごしてきた過去のことをいろいろ思い返しながら、こうした童謡、唱歌を歌う、読むことによって、またそこに何か希望みたいなものを感じることができます。

若い人たちもこうした歌をしっかりと覚えて歌っていくことになれば、人間同士、お互いの心を和やかにして、平和な世界に導いていく役割が果たせるのではないかと感じます。

これは、私の「老計」の一環でありまして、毎日、本などを読んで、1行でも2行でも今まで知らなかったことを吸収することもとても大事であり、それが脳を活性化するということでありますので、そのことを一生懸命させて頂いています。すぐに忘れてしまいますけれども、繰り返し学び続けています。

若い人たちもこうした歌をぜひ覚えて、豊かな人生を送れるように前進して頂きたいと思っています。
(8月1日)

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