内藤麻里子の文芸観察(55)

澤田瞳子さんの『のち更に咲く』(新潮社)は、こんなに自由に平安時代を描くのかと、驚きを禁じ得ない王朝エンターテインメントである。歴史の裏にあったかもしれない秘密に、藤原道長邸に仕える女房が迫る。次から次へと現れる謎、ミステリアスな人間ドラマから目が離せない。

肥後守兼大宰少弐(ひごのかみけんだざいのしょうに)である藤原保昌の妹・小紅は、下﨟(げろう)女房として道長の邸(やしき)、土御門第(つちみかどてい)に仕えていた。しかし一族は、祖父が怨霊と化したと言われ、父は遠流(おんる)に処せられ、保昌以外の兄二人は暴れ者で、検非違使(けびいし)の追捕にかかって死んだ。咎人(とがにん)の家系をはばかり、肩身狭く働いていた。ところが死んだ兄二人のうち下の保輔が率いていた盗賊団「袴垂(はかまだれ)」が、最近になって再び動き出したことが判明する。当人は自害しているのに、誰が首謀者なのか。そもそも当時幼かった小紅は、19年前に自害した兄のことを何も知らない。

保輔を密告によって死に追いやった男から文は届くわ、土御門第に押し入った盗賊に拉致されるわと小紅の身辺は一気にきな臭くなる。いったい何が起きているのか――。拉致された先にいた袴垂を率いる女は道長を深く恨み、保輔の娘だという少女にも出会う。しかし、19年前に逝った兄の娘とい言うには年齢が合わず、謎は深まるばかり。

ここに和泉式部や道長の妻・倫子、帝(みかど)の中宮になった彰子らが加わり、権力への飽くなき追求や嫉妬、怨恨、陰謀が渦巻く盛りだくさんな展開だ。そんな中でも土御門第の豪奢(ごうしゃ)な暮らしぶりや、女房たちの生態が活写されているのが興味深い。

さて、今まで世をはばかって生きてきた小紅だが、主体的に動き始めると見えてくるものがある。それを看破するに至る場面は熱を帯びる。そうやって今は亡き兄たちを理解し、道長に頼って道を開こうとする保昌の姿もまた、別種の強さで際立つ。やがてたどり着いたことの真相には重大な秘密が絡み、決着の仕方に粛然とした。活劇あり、彰子の出産あり、複雑な恋愛模様ありと、読みどころ多く虚実ないまぜに事態はザワザワと進むが、実は精緻に組み上げられた物語であった。

今年のNHK大河ドラマは紫式部が主人公の「光る君へ」とあって、王朝ものの刊行は多いが、こんなふうに書ける作家は他にいないのではあるまいか。女房たちの生態の中で藤式部こと紫式部の『源氏物語』の人気ぶりに言及し、本人も登場させて人となりに触れるなどサービス精神も満点だ。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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