バチカンから見た世界(136) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
紛争が絶えないミャンマーよ、どこへ行く
1948年にビルマ連邦として英国領から独立したミャンマー。しかし、その前年には独立運動の指導者であったアウンサン将軍が暗殺され、独立直後には、少数民族のカチン族が分離独立運動を展開し、アウンサン将軍を総書記として結成された共産党が政権を離脱した。
翌49年には、国共内戦に敗れた中国国民党軍の残部隊がミャンマーのシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を展開した。だが、ミャンマー国軍は50年代半ばまでに国民党軍勢力を一掃。さらに、初代大統領の仏教優遇政策が、キリスト教徒の多いカチン、チン、カレン州などの反発を招き、各州での自治拡大や独立を求める運動に火をつけた。自治や独立を志向する少数派諸民族、国民党軍、共産党勢力(後に少数派民族闘争勢力に吸収される)間での武力闘争が50年代のミャンマーを特徴づけ、不安定な状況の中でミャンマー国軍が勢力を伸ばしていった。
北イタリアのクレマ市出身であるカトリック宣教師のアルフレド・クレモネージ神父(ローマ教皇庁外国宣教会/PIME)が、53年にビルマのドノクで国軍の機関銃によって射殺され、殉教したのは、そうした当時の国内紛争状況を背景としていた。同国の山間部にある村々を巡り歩き、紛争に苦しむ貧しい人々に精神的、物質的支援を続け、そのために自身の命をも捧げた。そうした「英雄的行為」が認められ、クレモネージ神父は2019年にカトリック教会から「福者」の位が贈られた。
ローマ教皇フランシスコは4月15日、クレマ教区から訪れた2000人の巡礼者たちと会い、「苦悩するミャンマーが私の心から離れない。ミャンマーに神からの平和の賜物(たまもの)が到来するように祈ろう」と呼びかけた。巡礼者の中には、内戦中のミャンマーで勉学できず、2年前からミラノ市近郊のモンツァにあるPIMEの神学校で学ぶミャンマー人神学生たちの姿もあった。
教皇は、幾多の困難、危険をも顧みず、山間部の村々で紛争に苦しむ人々と共にあり、暴力により破壊される施設、人間同士の絆を再建していったクレモネージ神父の功績に言及。厳しい生活を強いられながらも現地に留(とど)まり、カトリック信徒か否かを問わず、助けを必要とする人々に対して「愛徳」を実践し、「機関銃の凶弾に倒れるまで、若者たちの教育に生涯を懸け、不理解や暴力にも屈しなかった」と称えた。