【カトリック神父・後藤文雄さん】難民の子供を受け入れ、育て上げた半生

カトリック吉祥寺教会の後藤神父

14人の子の父親であるカトリックの神父がいる――後藤文雄さんだ。35年前、インドシナ難民が発生した際、カンボジアの子供たちを里子として迎え、育て上げた。そのうちの一人の子と力を合わせ、同国に19の学校を建設し、教育支援にも尽くしてきた。現在、その半生を追った映画が製作されている。神の意思を感じて生きる後藤さんに自身の体験と、難民が急増する世界の現状に対して一人ひとりが考えておくべきことを聞いた。

難民の境遇を自身の問題として

――難民受け入れや、学校を建設してきた体験が映画になりましたね

有り難いことに、僕の体験に興味を持ってくださった方がいてね。撮影は終わり、現在、編集中だそうです。製作にあたって、私がお願いしたのは、難民問題に関心が集まるようにということでした。

今、シリアやアフリカの難民が国際的な問題になっています。1970年代、僕が関わったカンボジアをはじめとするインドシナから、難民が大量に発生し、日本も受け入れに当たりました。映画は、今の時代にも通じる問題として作ってほしいと伝えました。

映画には、聖地巡礼でパレスチナ自治区のベツレヘムを訪れた時の映像も入っています。ユダヤ人とパレスチナ人の居住区の間には今、イスラエル政府によって高さ7~8メートルほどの高い壁(分離壁)が500キロにわたって建設されているのですが、パレスチナ側には壁いっぱいに絵と「peace(平和)、peace、peace……」の文字が描いてあるんです。その光景を目にし、僕は言葉が出ませんでした。苦しい立場に置かれている人の気持ちを、そこから少しでも想像してもらえるのではないかと思います。

――カンボジア難民の支援に乗り出したきっかけは?

カンボジアでは、ポル・ポト政権による迫害や虐殺、内戦から逃れるため、多くの難民が出ました。日本は難民受け入れの要請に応え、定住促進センターをつくりました。その定住促進センターから、里親の話を持ちかけられたのです。

カトリックの神父は妻帯を禁じられていますから、家庭のない私にできるはずもないと思い、教会で信者の皆さんにお願いしました。しかし、誰も名乗り出てくれる方はいませんでした。一瞬、信者を非難する気持ちが湧いたのですが、気づいたのです。僕自身がカンボジア難民を他人に押し付けようとしていると。そこで、2人の少年の里親になることを決めました。最終的に、15年間で14人の子供と1組の老夫婦を受け入れました。

子供たちは僕と一緒に教会の職員宿舎で暮らし、全員、公立の小、中、高校に通わせました。高校卒業後は本人の意思で、大学や専門学校へ進学した子もいます。僕の故郷の新潟県長岡市には「米百俵」という物語があり、街を興し、国を興し、人間を成熟させていくには教育が何より重要だということを伝えています。子供たちが祖国に帰れるようになった時、国を再興していくには教育が欠かせないとの確信があったからです。

子供たちとの生活は楽しかったですね。1年に1回、全員の誕生日を祝う会を開くのですが、子供の友達を呼んで40人ぐらいのパーティーになるのです。成長すると結婚話もしてくれて。“親の気持ち”を味わわせて頂きました。

――学校側に、戸惑いはなかったですか?

最初は敬遠されました。名前も日本らしい氏名に変えてほしいと言われましたが、親からもらった名前を受け入れてほしいとお願いしました。

小学校ではこういうことがありました。小学3年生の子供が、学校の友達に「自分の国を捨てた卑怯者(ひきょうもの)。人の国に逃げ込んで、良い生活をしようと思っているのか」と言われ、泣いて帰ってきたのです。親が家庭で話している影響でしょう。担任の先生に相談し、社会科のテーマとして取り扱って頂きました。

インドシナ難民の問題を通して、僕も学校の先生も、各家庭の親御さんも、初めて難民問題にぶつかったのです。小さな問題はいろいろありましたが、皆さんよく理解してくださいました。

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