庭野会長「釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)」式典で法話 父母の恩に報いるため精進を
立正佼成会の「釈迦牟尼仏ご命日(布薩=ふさつ=の日)」式典が9月15日、東京・杉並区の大聖堂で行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。式典の様子は、インターネットでライブ配信(会員限定)された。
式典では、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われた後、大友崇行本部教務部主幹(教務グループ)が体験説法に立った。大友主幹は、28年間に及んだ父親の介護生活を回想。この間、母親の死去、自らの離婚と再婚を経験する中で、いつも体面ばかりを取り繕っていた自分だったことを吐露した。
再婚した妻が、幼い娘の育児と父親の介護に献身的に取り組む中で、心労からうつ病を発症した際も、妻の心に寄り添うことができなかったことを述懐。「自分は親孝行してきた」と思い上がっていたが、義母から厳しい苦言を受け、妻からも再三にわたり離婚を切り出された末、ようやく自分の身勝手さに気づき、心からサンゲと感謝の気持ちを伝えることができた体験を発表した。
これからは、「素心(そしん)」と「和言(わげん)」を精進の要として、妻と義母の心にしっかりと向き合い、何でも語り合える家族になることを誓った。
続いて、法話に立った庭野会長は、人間が身心ともに健康な人生を送るためには、病院で身体の精密検査を受けるほか、日頃から自分で「心体精密検査」を行う重要性を強調。日常の飲食は質、量ともに適正か、毎夜の眠りの具合はどうか、適当な運動をしているか、自分の身心に影響する悪習はないかなどの十項目を提示し、これらを常に自問しながら生活ができれば、身心ともに健康な人生を送ることができると説示した。食欲の秋と言われる今の時季は、食べ過ぎていないかどうか、チェックしていくことがとても大事と述べた。
また、親孝行の意味合いについて言及。東洋思想を根底とした哲学者、西晋一郎氏が示した「父母の恩の有無厚薄(うむこうはく)を問はない。父母ありといふことが即(そく)恩ありといふことである。父母の我(われ)を生むは自然のわざで、格別恩では無いといふは甚(はなは)だしき誤(あやまり)である。自然のわざなるが故(ゆえ) 恩である」との言葉を紹介し、人間としてこの世に誕生したことが「父母の恩」であり、その恩が薄い、厚いは問題ではなく、「父母あり」ということが有り難いことであると教示した。
その上で、父母の恩に報いるために自分の身心を健康にし、人さまに法を伝え、共に精進していくことが大切と語った。