元ベトナム難民のファムさん 40年ぶりに千葉・小湊へ
ベトナム難民として来日し、立正佼成会の「小湊難民キャンプ」で半年間生活した後、米国に定住したキム・ファムさん(59)とその家族が4月8日、40年ぶりに小湊を訪れた。「もう一度小湊を訪ね、あの時のお礼を言いたいと思っていました」と語るファムさん。本会小湊教会の「降誕会」の席上、あいさつに立ち、当時の支援に感謝の意を表した。
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ベトナム戦争が終結した1975年以降、インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)は相次いで社会主義体制に移行。これに伴い、新体制下で迫害される恐れのある人や不信感を持つ人が国外に大量に流出した。中でも、ベトナムでは、小型船で逃げ出す「ボートピープル」が後を絶たず、海洋を漂流する彼らの状況は人道上の国際問題になった。
こうした状況を受け、76年、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際委員会とアジア宗教者平和会議(ACRP)は共同事業として、難民の支援を開始。さらに、本会は翌年3月、国連と外務省による要請に応え、小湊教会の「佼成学園小湊臨海学校」、若狭教会高浜法座所の2拠点を難民キャンプとして開放し、95年までの18年間で476人を受け入れた。
旧ベトナム共和国(南ベトナム)・ファンティエット出身のファムさん一家は、77年に全長20メートル、幅2.5メートルの漁船に乗り込み、国外脱出。79人が乗る船内はすし詰め状態で、マレーシア沖を漂流していたところ、5月2日に日本の木材運搬船「興産丸」に救助された。
小湊から始まった新たな人生
ファムさんは、小湊難民キャンプに半年間滞在し、通訳を務めるベトナム人から英語や日本語を学び、難民の子供たちの入学手続きを手伝って過ごした。その後、第三国定住先の米国に一家で移住。米国では大学に進学し、今回一緒に来日した夫のアン・ドゥンさん(59)さんと出会い、81年に結婚した。
「アメリカでの生活は過酷でした。飲食店と旅行代理店で掛け持ちで働きながら3人の子供を育てました。子育てが終わり、ようやく自分の人生を振り返る時間ができた時、もう一度小湊に戻り、あの時のお礼を言いたいと思ったのです」と来日の理由を語る。
小湊難民キャンプで共に生活した両親も再来日を切望していたが、母親は14年前、父親は2年前に逝去。ファムさんは今回、両親と11人の兄弟を代表して来日を果たした。
キャンプ跡地には現在、小湊教会道場が建つ。「降誕会」の席上、あいさつに立ったファムさんは同教会会員を前に、自己紹介し、「40年前、皆さんの助けがなかったら、私たち家族に未来はありませんでした。本当にありがとうございました」と謝意を表した。
この後、難民の受け入れ当時青年部員だった壮年部員らと交流したほか、教会に保存されていた「インドシナ難民受入記録」などを見ながら、思い出話に花を咲かせた。
「日本での生活は、とても幸せな記憶として残っています。小湊は第二の故郷、ここで私たちを支えてくれた全員が家族だと思っています。帰ってくることができ、本当にうれしい」
ファムさん一家の次の目標は、同じく難民だった夫が一時滞在していたマレーシアを訪問することだという。