「朔日参り(布薩の日)」式典 庭野会長が法話 親孝行、先祖供養を通して精進を
9月1日、立正佼成会の「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が東京・杉並区の大聖堂で行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。式典の模様はインターネットで会員にライブ配信された。
式典では、読経供養が行われ、庭野光祥次代会長が導師をつとめた。次いで、岡村嘉亮時務部次長(秘書グループ)が体験説法を行った。
岡村次長は、交通事故により4歳で亡くなった弟の成仏を願い、母親が真剣に精進するようになった経緯や、自身が19歳の時に肺気胸の手術を受け、自分が「生かされている命」であることを感じたことを振り返った。その上で、自身が退院後に教会活動に参加するようになり、学林本科に入林してから現在に至る経歴を報告した。
さらに、法華経を学ぶ中で、病気によって仏道を歩めたことが仏の救いだったと受けとめることができた体験を発表。また、亡き父親の人生に思いを馳(は)せ、心から尊敬できるようになったことを述懐し、いのちを授けてくれた親への感謝の思いを述べた。
また、現在、秘書として庭野会長に仕える中での自身の学びを紹介。庭野会長に倣って、コロナ禍の中で困難に直面しても、「創造的に精進させて頂きたい」と誓った。
法話に立った庭野会長は、「父母の恩の有無厚薄(うむこうはく)を問はない。父母ありといふことが即恩ありといふことである」という哲学者・西晋一郎氏の言葉を紹介。親から受けた恩があるかないか、またその恩が厚いか薄いかにかかわらず、父母からいのちを授かったおかげで今の自分があるとして、親の恩を知り、親孝行に努める大切さを述べた。
また、ある女性僧侶のインタビュー記事から、「父母の背を流せし如く墓洗う」という歌と「親のことを偲(しの)ぶことも親孝行」という言葉を紹介した。入浴中に、父である庭野日敬開祖の背中を初めて流した体験を披歴しながら、自身の親に対して生前にはできなかったことでも、その墓を感謝を込めて洗うことで親を偲び、親のおかげでこの世に生まれ、仏教にも出遇(であ)えた有り難さを感じられると説いた。その上で、親孝行、先祖供養を通して、自らのいのちを見つめ、世のため人のために尽くす人間になれるように精進することが大事と述べた。
さらに、9月11日で「米国同時多発テロ事件」から20年を迎え、米軍がアフガニスタンから撤退したことに言及。世界を平和にするには、一人ひとりが神仏を信じる心をしっかりと持って精進し、教えを多くの人に伝えていくことが大切と説き示した。