内藤麻里子の文芸観察(24)

朝井まかてさんの『白光』(文藝春秋)は、夢に向かって生きることの野心と挫折と、その果てにある充足が余すことなく詰まっている。生きるとはこういうことよと、ゆうゆうたる筆遣いでつづる画業小説だ。描かれるのは日本初のイコン(聖像)画家、山下りんの生涯である。

明治2(1869)年、今や茨城県になった元笠間藩の藩士の娘、りんは16歳。不縹緻(ぶきりょう)、不愛想でひとたび決めたことは梃子(てこ)でも動かない剛情者。嫁ぐより、絵師になりたくてたまらない。家出や友の死を経て東京行きを許されるも、世は変革期。日本画の師を求めたものの、研究が始まったばかりの洋画の道に足を踏み入れることになる。

生来の剛情さが功を奏して工部美術学校に入学を果たし、学友に神田駿河台のロシヤ正教会を紹介されたことで、ロシヤ留学への道が開ける。しかし貧しいりんの悲惨な船旅、言葉が通じない地での修業中にぶつかった一徹だけでは崩れない壁、それでもたまには訪れる慰め。努力と挫折の怒濤(どとう)の日々が、一気に展開する。差別や、教会の薄情さも説かれるのだが、全てをのみ込んで彼女は歩み続ける。

教会と縁を結んだりんには、信仰の問題もあった。最初は手段にすぎなかった信仰が、ふっと深まる瞬間が訪れる。その描写のさりげなさに、ちょっと驚かされた。本来描きたかった人間性に富む絵と宗教画の違い、画壇の流行など、背景もおろそかにしない。日本にロシヤ正教をもたらした大主教、日本の学友やロシヤの修道女らが絡み、厚みある物語を織り上げた。描かれる要素も多ければ、登場人物も多いけれど、状況を端的にくるりとまとめてみせる手際がこの作家は本当にうまい。なめらかな筆に乗ってつるつると読んでしまう。

夢に向かって、「死なば死ね。生きなば、生きよ」と思い定めた山下りんの人生であった。その奮闘ぶりだけでも泣けてくるが、本書はそこにとどまらない。自分の力でこじ開けた扉、準備や配慮が至らなかったことの数々、時代性もあって自力ではどうにもならなかったことも全てが夢を目指す道程だった。その感慨をもってりんは晩年を迎える。そして、人生に充足するのである。

若い作家では、この境地にたどりつかないかもしれない。若い読者にこの境地はわかりにくいかもしれない。しかし、人生とはこういうものだし、こんなふうに自分の人生をとらえられたら幸せだ。朝井さんは60代に入った。作家として、充実の時を迎えたと言えよう。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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