庭野会長 「朔日参り(布薩の日)」式典で法話 修行の場所は日常の中に

庭野会長は、心を豊かにし、日常の中で「上求菩提・下化衆生」という菩薩としての精進に努める大切さを説いた

5月1日、立正佼成会の「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が大聖堂(東京・杉並区)で行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。会員は参集せず、式典の模様はインターネットの動画共有サイトを使って、ライブ配信(会員限定)された。

式典では、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、小野恭代所沢教会長が体験説法に立った。

小野教会長は10年前に夫の失職後、夫婦で本部に奉職して学林光澍高校科男子寮で働き始め、支えてくれた人への感謝の表れとして、「温かい人になる」と誓願したことを述懐。また、入職して3年目に次男が致死性不整脈で心停止し、奇跡的に回復したことを通して、命の大切さ、信仰の有り難さに改めて気づき、自分の生き方を見つめ直した体験を発表した。

教会長を務める現在は、コロナ禍で会員が集えない中、「今、できることを丁寧に」を合言葉に、会員の学びや功徳を紹介する教会通信を発行するなど、サンガとつながる努力を続けていると語った。

法話に立った庭野会長は、菩薩道とは自己の人間性を向上させる「上求菩提(じょうぐぼだい)」、人のために尽くす「下化衆生(げけしゅじょう)」に努めることで、その道を歩むために、自分たちは日々精進していると説示。その上で、儒教が説く「尽心(じんしん)」(心を尽くす)の意味に触れ、自らの心がどういうものかを解明することによって、人間の本質が分かり、人間を創造した大自然のことも分かると述べた。また、現代文明の最も深刻な問題は自己の喪失にあるとして、儒教の「存心(ぞんしん)」を挙げ、常に自己を失わないようにすることが大事と強調。コロナ禍の自粛生活の中でも、心を豊かにしていくよう促した。

また、釈尊が悟り、説いた「縁起」に言及し、「縁起」により、人間も大自然も全てが関わり合って一つであることが分かると教示。人間だけが特別なものと考えることがさまざまな誤りの元であり、縁起によって「そのことにしっかりと気づいて、精進するようにというのが仏さまのお慈悲」と語った。

さらに、現実の世界は本仏が常に説法している尊い世界であり、それぞれの修行の場所は、日常生活にあると明示。「朝、起きて精進を決定(けつじょう)し、一日が終わって、有り難く仏さまにまたそのことを誓いながら休ませて頂く」といった生活が、仏教徒にとって大事と述べた。