大聖堂で「教団創立83周年記念式典」 庭野会長が啓白文を奏上し法話 (動画あり)
立正佼成会創立の意義をかみしめる「教団創立83周年記念式典」が3月5日、大聖堂(東京・杉並区)で挙行された。
昨年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で式典が中止となり、読経供養と「啓白文」の奏上のみが行われた。式典の開催は2年ぶりとなる。法話の中で、庭野日鑛会長は、生きがいのある人生を送るために、いのちの尊さ、教えに巡り合えた有り難さをかみしめ、精進を重ねていく大切さを示した。感染防止対策として会員は参集せず、式典の様子が動画共有サイトを通じてライブ配信(会員限定)された。
いのちの尊さ、教えに巡り合えた有り難さをかみしめ精進誓う
本会は昭和13(1938)年3月5日、庭野日敬開祖、長沼妙佼脇祖によって創立された。当時の会員は30人ほどで、その後、多くの人の幸せと人格完成を願って懸命な布教伝道が展開され、全国、そして海外へと教えが広まった。
今年の創立記念式典は、オープニングに東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)が登場し、「万世の鐘」など4曲を披露。この間、配信された動画には表彰を受ける功労者の氏名が映し出された。
庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、庭野会長が啓白文を奏上した。この中で庭野会長は本会の歩みを振り返り、教団の発展に尽くした先達に謝意を表明。教団創立百年に向け、「『人間形成の根本道場』である家庭において、ご宝前を中心とした生活を営み、御本尊さまに感謝の誠を捧げつつ、父として子どもの尊敬の的でありたいと念願し、母として子どもの慈愛の座でありたいと念願し、未来を担う子ども達の人格の形成をはかってまいります」と神仏に誓願した。
教団を代表し挨拶に立った國富敬二理事長は、コロナ禍で集っての活動が難しい中、会員一人ひとりが教えを広める工夫を重ねている様子や、自らが取り組む「思いやりコール」での気づきを紹介。毎日の生活でうれしい出来事を見つけ、それを人に伝え、教えによる救われを共に実感することが大切と述べた。
続く功労者表彰では、教会役員功労者112人を代表して木更津教会会員(72)に、会員特別功労者190人を代表して上尾教会会員(81)に、庭野会長から感謝状と記念品が贈呈された。次いで功労者を代表し台東教会会員(70)が体験説法に立った。
台東教会会員は顔のアザと夫の事業倒産による借金という二つの苦をきっかけに、信仰の道を歩んできた半生を述懐。先輩サンガの励ましに救われた経験から、自らも「人さまの幸せを願い、人さまのお役に立ちたい」との思いが湧き、人が救われる姿を自身の喜びにできた体験を報告した。また、アザのせいで自分を駄目な人間だと否定し、その執着が苦を生んでいたと気づくことで、自らの人生を肯定し多くの人に感謝できた信仰の功徳を発表。次世代に信仰の有り難さを伝えられるよう精進を重ねると誓願した。
この後、庭野会長が登壇。法話の中で、『法句経』にある、「人の生(しょう)を受くるは難(かた)く、限りある身の(やがて死すべきものの)、いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し。正法(みのり)を耳にするは難く、諸仏(みほとけ)の世に出(い)づるも有難し」の一節を紹介。感謝の気持ちを表す「ありがとう」の語源が「有難し」であると説明し、一人ひとりがいのちを頂いたこと、正法、真理に出遇(であ)えた意味合いをかみしめて、しっかりと自分のものにしていくことが大事であると述べた。
さらに、「生老病死」は苦と捉えられるものの、生老病死があるからこそ精進ができるとし、永遠の真理(法)を体とする「法身」や、「永遠の過去から永劫の未来へと受けつがれてゆく、宇宙の大生命そのものがぼくたちの命なのである」(森政弘氏の著書『心眼――エサしか視えないカエル』)といった生命観を持って、自らのいのちの尊さに目覚める大切さを教示。「『本当に有り難い』という感謝の気持ちになることが、仏教、法華経の信仰に結びつく大事なポイント」と説いた。
最後に、全会員の感謝を込め、府中佼成幼稚園の男児(6)と女児(6)が、庭野会長夫妻に花束を贈呈した。