大聖堂で「開祖さま入寂会」 会員はそれぞれの場で遺徳偲び、精進誓う (動画あり)

大聖堂での式典に先立ち、一乗宝塔で行われた「開扉の儀」。一乗宝塔は今年、建立から20年になる

立正佼成会を創立し、1999(平成11)年10月4日に92歳で入寂(にゅうじゃく)した庭野日敬開祖に感謝の誠を捧げ、布教伝道を誓う「開祖さま入寂会」が10月4日、東京・杉並区の大聖堂で挙行された。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため会員は参集せず、式典の様子はインターネットでライブ配信(会員限定)された。

法話に立った庭野日鑛会長は、仏になるという願いを持ち、自然と教えを求めるような信心、信仰を目指して精進する姿勢を説いた。

開扉の儀の様子(クリックして動画再生)

式典に先立ち、庭野開祖の「お舎利」が奉安されている一乗宝塔で「開扉(かいひ)の儀」が行われ、庭野会長により扉が開かれた。庭野会長、庭野光祥次代会長、國富敬二理事長が花を供えた。

大聖堂での式典では冒頭、「開祖さまとの対話」の時間が設けられた。サヌカイトの音が流れる中、会員はそれぞれの場で、庭野開祖への「追慕」「讃歎(さんだん)」「報恩感謝」の思いを深めた。

続いて読経供養が行われ、導師をつとめた光祥次代会長が、庭野会長名の「報恩讃歎文」を奏上した。

この後、1983年から15年間にわたって庭野開祖の秘書を務めた佐藤益弘常務理事が『開祖さまを偲(しの)んで』と題し、体験を発表した。佐藤常務理事は秘書当時を振り返り、庭野開祖が毎朝に『法華三部経』を読誦(どくじゅ)し、「仏さま中心」という信仰の基本を大事にする姿や、海外出張が続くなど多忙を極めたスケジュールの中でも、本部を参拝する会員に喜んでもらうことを大切にし、法話に立ち続けたエピソードを紹介。師のそばで仕えた心境を、「まさに我が身、命をも惜しまず正法弘通(しょうぼうぐつう)のために生き、慈悲に生きる真の布教者としてのお姿を拝したものと思いました」と語り、その姿勢を自らの指針にして精進を心がけていると語った。

法話に立った庭野会長は、「考」という字には「かんがえる」「成(な)す」「亡くなった父」という意味があると紹介し、父を「先考(せんこう)」と言うと説明。人は皆、亡くなった父親の年になってみて分かることが多いとし、「人間の考えることは、経験を積んで、歳月を経て、初めて円熟する。歳月をかけて、経験を積まなければなりません。そうすることで事を成功させ、物を遂行達成することができるのです」と述べた。

庭野会長は法話で、「開祖さまのように、一歩一歩、精進を続けて、大らかな、朗らかな人間を目指してまいりましょう」と語り掛けた

また、道を究めるための心得を説いた、『論語』の「朝聞夕死(ちょうもんせきし)」(朝に真実の道理を知ることができれば、夕方には死んでも悔いはないという意)、中国の歴史書『晋書(しんじょ)』にある「朝聞夕改(ちょうもんせきかい)」(真実の道理を聞いたのであれば、気づいたのであれば、すぐに今夕にも改めるとの意)という言葉を紹介。「私たちも尊い仏法を頂いておりますから、『朝聞夕死』のような覚悟で、また、改めるべきことは改め、日々、新たな気持ちで臨んでいくことが大事」と説き示した。

さらに、日蓮聖人の「飢へて食(じき)を願ひ、渇(かつ)して水をしたふが如(ごと)く、恋しき人を見たきが如く、病に薬を頼むが如く、みめかたち良き人、紅白粉(べにおしろい)をつくるが如く、法華経には信心を致(いた)させ給(たま)へ。さなくしては後悔あるべし」との言葉に触れ、仏教徒として仏になるという願いを持ち、自然と教えを求めていくような信仰、信心を促した。