【水中考古学者・山舩晃太郎さん】悠久の歴史を今に伝える 世界の海洋の沈没船を研究
世界中の海には300万隻を超える沈没船やクレオパトラ宮殿など、水位上昇によって没した遺跡が眠っている。これらは全て「水中遺跡」と呼ばれ、はるか悠久の歴史を辿(たど)る上で貴重な痕跡となる。日本では馴染(なじ)みの薄かった「水中考古学」にいち早く着目し、年間20隻以上の沈没船の調査・研究にあたる山舩晃太郎さんに、水中考古学の魅力や将来の展望について聞いた。
水中発掘調査は過酷な作業 最新技術で船の全体像を
――水中考古学とはどのような研究分野ですか
水面下の遺跡や沈没船を発掘、調査するのが水中考古学です。その歴史はまだ浅く、1960年から地中海のトルコ沖で、「水中考古学の父」と呼ばれるジョージ・バス博士が中心となって始めた沈没船の発掘が始まりとされています。50年代の終わりに、スキューバダイビングのレギュレーターやタンクなどが発明され、誰でも簡単に水中に潜れるようになったことも要因となっており、欧米を中心に発展してきました。
遺跡の発掘や調査方法は、考古学と同じように周到に準備が進められます。さまざまな文献や史実を基に研究が進められ、必要なデータを取るために水中での発掘調査が行われるのです。
――山舩さんの専門は、主に沈没船だそうですね
正確には「造船史研究」と言います。沈没船の発掘や調査を通して、船がどのように造られてきたのかを研究しています。船は、飛行機が発明されるまで、人が海を越えて移動できる唯一の乗り物だったんですね。だから、現代の宇宙ロケットやスペースシャトルのように、当時の最新鋭の技術が凝縮して造られているんです。沈没船を研究していくと、どのような文明のレベルだったか、人々の暮らしぶりはどうだったかを知ることができるのです。
――沈没船は、トレジャーハンターの格好の標的にされることも多いと聞きます
実際に、そうしたケースは少なくありません。彼らは「海のロマン」をうたい文句に、人類にとって貴重な文化遺産を破壊して、財宝を手に入れています。しかも、専門のトレーニングを受けたこともなければ、発掘の仕方や研究方法も分からない素人集団ですから、船を爆破するなど手荒な方法で宝物を得ようとします。また、引き揚げられた財宝の所有権を巡るトラブルも引き起こしています。
もし仮に、日本で卑弥呼の墓が見つかったとして、誰かが夜中にブルドーザーで墓を暴いて、金銀財宝を持ち去ったとしたらどうなりますか。その時点で、歴史は永遠に失われてしまうことになりかねないのです。
そこで、こうした状況に歯止めをかけようと、ユネスコは2001年に「水中文化遺産保護条約」を採択しました。条約の冒頭では、水中文化遺産を「文化的、歴史的、または考古学的な性質を有する人類の存在のすべての痕跡であり、その一部または全部が定期的あるいは恒常的に少なくとも100年間水中にあったもの」と定義しています。特に「一部または全部が」と明記されたことで、水中考古学の研究範囲は沈没船だけでなく、港湾や住居の水中遺構、海景にまで大きく広がりました。これにより、水中考古学の持つ可能性も大きく広がったと思います。
――水中での発掘調査は、陸上と比べて困難な作業ではないですか
水中の発掘調査では、まず船の全体像をつかむために測量を行います。一回の潜水時間は約30分。水の流れに抗(あらが)いながら、ミリ単位の精度を求められる測量は地道で過酷な作業です。陸上なら数カ月で終わる調査が、水中では数年から数十年かかることも珍しくありません。それに、そもそもダイバーが潜ることさえできない所に沈没船が水没していることもあります。
そこで、私はフォトグラメトリーという技術を駆使して、発掘調査を行っています。これは、水中で水平、垂直方向に何千枚もの写真を撮り、コンピューターで合成して、調査現場の3Dモデルを作成する手法です。これにより、手作業の測量に時間を取られることなく、発掘作業を行うことができるようになり、歴史の謎をひもとくツールとして重宝されています。
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