立正佼成会 庭野日鑛会長 11月の法話から

11月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

全てが修行の場

私たちにとっての修行の場とは、大聖堂や教会道場だけではありません。

ある禅宗のお坊さんが師匠に、「修行とはどういうことか」と訊(たず)ねると、師匠は「全部が修行の場だ」と答えられたといいます。「修行」というと何か堅苦(かたくる)しい感じがしますが、私たちが生きている所で行う全てのことが、「修行」と答えられたというのです。その意味では、例えば、主婦の方が台所で菜っ葉を切っている時も修行であると言えます。

このことは、法華経でも教えられています。私たちが読誦(どくじゅ)する青経巻(『経典』)の最初に、「是(こ)の處(ところ)は即(すなわ)ち是れ道場なり」とあります。そこに教えられているのは、私たちが居(い)る所、住む所、全てが道場だということです。

もちろん、大聖堂や教会では、さまざまな修行をするわけですが、本来の修行の場、特に在家仏教での修行の場は、私たちが働いている職場や、家庭であり、まさに居る所、住む所の全てです。その意味で、私たちは、「大聖堂に来たから修行をした」「教会に来たから修行をした」ということではなく、いつもそれぞれの場で修行しているのです。
(11月1日)

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