立正佼成会 庭野日鑛会長 5月の法話から

5月に行われた大聖堂での式典と、宇和島教会の訪問から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

“本当にわかる”とは

「わかる」ことは「かわる」こと――これは、ある本(解剖学者・養老孟司氏と物理学者・佐治晴夫氏の対談集=河出書房新社)のタイトルです。

本当に「わかる」とは、自分の心を変える、行いも変える――それが、この本のタイトルに込められている大切な点ではないかと思います。さらに言えば、物事がわかるとは、ただ暗記して記憶するだけでなく、心を入れ替え、行動も変わっていくことだと思いました。ぜひそうありたいものです。

よく私たちは、「信仰が受け継がれない」「子供、孫に伝わらない」という話を耳にすることがあります。

自分の子供だと思うと、怒って何とかさせようという気持ちも起こってしまいます。自分の子供ではなく、神さまからの授かりもの、預かりものだと思えば、「わが家に来てくれてありがとう」と感謝の目で見ることもできます。そのような見方によって、私たちの意識も変わってくるわけです。

子供というのは、面白いことに、何に対しても「ありがとう」と言っている親の姿を見ながら育っていくと、子供の口からも「ありがとう」という言葉がたくさん出るようになります。親の姿を見て学ぶ、真似(まね)ぶことが、子供の言動に現れてくるのですから、「『わかる』ことは『かわる』こと」とも関連があるかもしれません。自分の子供だと思うと、ついつい怒ってしまいますが、神さまからの授かりもの、預かりものだと思えたら、「本当にありがとう」と感謝の目で見ることができる。そのことを通して、子供に対する親の気持ちが変わってくるのです。

仏道の修行でも、自分の心も変わり、行いも変わるというところに行き着くのが、本当の「わかる」ということに当たります。ごく簡単な「わかる」「かわる」という言葉には、とても深い意味があります。
(5月15日)

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