光祥次代会長のスピーチ(全文) 「第5回ムスリム社会における平和推進フォーラム」から

アラブ首長国連邦(UAE)・アブダビで12月5日から7日まで、「第5回ムスリム社会における平和推進フォーラム」が行われた。世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際共同議長を務める庭野光祥次代会長が出席。光祥次代会長は、7日に『機関――アブラハムの兄弟宗教と世界的連帯の倫理』のテーマに基づいて行われた会合「宗教と世界的連帯に向き合う国際組織」の席上、英語でスピーチを行った。全文(日本語訳)を紹介する。

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私は日本の在家仏教運動体である立正佼成会から参りました。このたびは仏教のものの見方をお話しする機会を頂き、心から感謝申し上げます。

私は現在、ビンバイヤ師(同フォーラム会長のシェイク・アブドラ・ビンバイヤ師)と共に世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際共同議長を、KAICIID(アブドッラー国王宗教・文化間対話のための国際センター)では理事を務めておりますが、これは立正佼成会が長年、諸宗教対話・協力活動に力を注いできたためだと思います。RfPは1970年、京都で第1回世界大会を開催して以来、およそ5年ごとに世界大会を開催。約50年の歴史を持つ諸宗教対話・協力ネットワークです。現在、世界97カ国にIRC(諸宗教評議会)を有し、来年はドイツで第10回世界大会が開かれる予定です。

立正佼成会の創立者である私の祖父・庭野日敬は、RfP創設メンバーの一人で、第1回京都大会の総責任者でした。RfP創設当時、世界は東西冷戦下で核戦争の危機に直面し、ベトナム戦争は泥沼化していました。宗教界では20世紀初頭に始まったエキュメニカル(キリスト教諸教会一致)運動の流れが促進され、1965年には第二バチカン公会議においてカトリックが他宗教の救いと信教の自由を初めて認める宣言「ノストラ・エターテ」が出されました。 

私の祖父は、この第二バチカン公会議に唯一の仏教徒として招待され、出席しましたが、そこでローマ教皇パウロ六世の「他の宗教者に対しても深い尊敬と愛と希望をもって接する」という言葉に触れ、確信を持って諸宗教対話・協力へと歩みを進めたのです。こうした動きと呼応して、アメリカ、インド、日本などの諸宗教指導者が出会い、対話し、共に行動するというイニシアチブが起こり、その結実が世界宗教者平和会議、後のRfPとなりました。

私が今日、特にお話ししたいことは、彼ら創設メンバーは、宗教協力運動を通して国際会議や国際交流に関わることで、「閉ざされた平和観」の限界を痛感したということです。「心の平和」を強調し、個人や共同体の中での平和観に慣れ親しんでいた宗教者は、歴史を見つめ直し、心を開き、他者の痛みに責任を持つという彼らの本当の役割を自覚しました。

つまり世界の見方を変え、人類的視野、地球的視野に立ったのです。そのことを端的に表現しているのが1970年の第1回世界宗教者平和会議の宣言文(京都宣言)にある、次の言葉です。

「我々は、しばしば、われらの宗教的理想と平和への責任とにそむいてきたことを、宗教者として謙虚にそして懺悔の思いをもって告白する。平和の大義に背いてきたのは宗教ではなく、宗教者である。宗教に対するこの背反は、改めることができるし、また改められなければならない」

しかし、当時このことを切実に体験したのは限られた人々でした。多くの信徒は彼らの指導者が学んだことを言葉で聞き、その限りにおいては理解したでしょうが、どれほど実感できていたでしょう。

それに比べ、現在では情報通信技術の進展と交通手段の発達により、文化・経済・政治などの交流が容易になりました。国や地域といった地理的境界、枠組みを超えて、大規模かつ活発に行われるグローバル化が促進された結果、多くの人が当たり前のように「地球的視野」という言葉を口にします。

しかし今も、世界の苦しみを本当に“自分ごと”とし、痛みを感じている人がどれほどいるでしょう。私たちに必要なのは心を開き、歴史を、世界を捉え直すことであり、それを心と体で学び取っていく経験だと思います。