長沼脇祖を追慕する「脇祖さま報恩会」 全てが仏性の現れと庭野会長が法話
立正佼成会の創立と発展に尽くした長沼妙佼脇祖。その祥月命日にあたる9月10日、「脇祖さま報恩会」が東京・杉並区の大聖堂をはじめ全国各教会で行われた。
昭和11年に庭野日敬開祖に導かれ、法華経と出遇(であ)った長沼脇祖は、一途(いちず)に信仰の道を歩み始める。同13年3月5日、庭野開祖と本会を創立し、教えに基づいた慈悲喜捨の実践に励み、副会長として本会の発展を支えた。人の機微に通じた長沼脇祖は、時に厳しい指導で会員を導き、同時に全ての人をわが子のように慈しむ触れ合いは「厳愛の二法」と呼ばれ、会員からは「慈母」と慕われたのだった。
当日、大聖堂には約3400人が参集。聖壇上には、ありし日の長沼脇祖の写真が掲げられ、式典では冒頭、長沼脇祖の法話(録音)が放送された。読経供養が行われ、導師をつとめた庭野光祥次代会長が庭野日鑛会長の「報恩讃歎(さんだん)文」を奏上。続いて、熊野隆規時務部部長が体験説法を行った。
熊野部長は、布教伝道に邁進(まいしん)する母親と信仰に反対する父親との間に時折、確執を感じることがあったと吐露。自らが教えの尊さに目覚めると、父親の態度も変化していったと語った。
さらに、本会の職員となって単身赴任していた頃、わが子に病の疑いがあると診断され、上司に指導を仰いだところ、父親の責任を果たしていない自分に気づかされたことを述懐。妻子と同居し、日々、心を内省して過ごすと、子供は回復していったという。子供に問題が生じていたのではなく、「私の成長が止まっていた」と述べ、「どんなことも、仏さまのお慈悲であると見えた時、本当の功徳がやってくる」との心情に至り、さらなる精進を決定(けつじょう)した。