奉仕と労働の境界線はどこに 新宗連が宗教法人の労働問題を考える研究会

新日本宗教団体連合会(新宗連)の宗教法人研究会による「第81回拡大宗教法人研究会」が4月19日、東京・渋谷区の新宗連会館で行われた。当日は、宗教団体に関わる訴訟問題に詳しい紀藤正樹弁護士が『宗教団体と労働問題を考える』をテーマに講演。新宗連加盟教団から35人が参加した。

2016年9月、政府によって「働き方改革」が提唱されて以降、労働環境への関心が高まっている。中でも、宗教法人に対しては、労働と修行・奉仕との区別があいまいだとの意見も聞かれ、法律の観点からそうした労働環境について考えるため、今回の講演が企画された。

講演の中で紀藤氏は、一般企業を例に、就業規則や労働契約によって、労働者は、使用者(雇用主)に労働を提供し、その対価として報酬が支払われる関係にあると解説した。一方、ほとんどの宗教法人では、専従職員が信徒である場合が多く、職場が労働の場であると同時に、信仰の場であるという両面の性質を帯びると指摘。そのため、就業規則に基づく労働と、信徒の意思に基づく修行・奉仕などの宗教活動との区分があいまいであったが、昨今は労働者の意識が変わり、時間外労働や賃金未払いといった労使問題へ発展するケースが増えていると述べた。

紀藤弁護士

労働者に対して事前に、信仰活動としての修行・奉仕であると告げられていても、労使間には契約上、支配と従属という“強弱関係”が存在するため、法的には、「奉仕・修行」の名の下に、使用者が労働者に労働を課していると判断されやすいと強調。労働者の奉仕は、本人の意思がよほど明確でない限り、労働と捉えられる可能性が高いと話した。

その上で、宗教法人は労働者としての職員の活用と同時に、職員である信徒を宗教者、信仰者として導いていく役割も有しているため、契約上の労働と、信仰を深めるための修行・奉仕の区分を明確にしておく重要性を強調。職員本人が、報酬が発生しない活動を、労働あるいは修行・奉仕と考えるかは、最終的には職員の受けとめ方(内心)に委ねられるため、使用者である宗教法人は、信仰を深める修行・奉仕を教義の面で明確に示しておくことが必要になると話した。さらに、働きがいのある環境づくりが大事であるとし、職員とのコミュニケーションを通して彼らが業務で感じている不安や心配事を小まめに把握し、労働者の視点に立って職場環境の改善に努めることが求められると述べた。