一食50周年 9月は「啓発月間」
「一食を捧げる運動」50周年に寄せて 立正佼成会会長 庭野日鑛
「一食(いちじき)を捧げる運動」が今年、50年の節目を迎えました。半世紀にわたってこの運動を支えてくださっている全国の皆さまに心より御礼を申し上げます。
これまでに寄せられた浄財は160億円を超え、貧困の削減、難民支援、環境保全など国内外の幅広い分野で役立てられてきました。近年ではコロナ禍に、「一食地域貢献緊急支援プロジェクト」により、フリースクールや無料塾、子ども食堂などに助成が行われました。時に応じて最も必要とされるところに迅速に支援がなされてきたことは、皆さまの継続的な実践の賜物(たまもの)であります。
この運動を通して、私たちは、さまざまな困難に直面している方々に「同悲」の心を寄せて献金し、世の中の現実や課題を学び、いま自分自身のなすべきことを教えて頂いてきました。心の内にある慈悲の心、思いやりの心に気づかせて頂いてきたということもできます。それは結局、「自利利他円満」ということであります。
「自利」とは自分の利益、救われのことであり、「利他」とは他の利益、人さまの救われのことです。「自利利他円満」は、自利と利他の両方が一つとなることを指します。つまり、慈悲の心によって、人さまを救いに導き、それが同時に自らの喜び・救われにつながることが、人間の本当の幸せであるということであります。この「自利利他円満」は、大乗菩薩道の精神であります。
お釈迦さまご自身、最初はご自分の苦悩を解決しようとして修行の道に入られました。しかし、お悟りを開かれると、ご自分だけの悟りでは本当の安らぎは得られない、万人が救われない限り、個の真の救われはないということに気づかれたのです。
その精神を現代的に表現したのが、童話作家であり、法華経の信仰に篤(あつ)い宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉であります。すべての人々が幸せを実感できるような世の中にすることが、結局、自分自身の幸福につながるということです。
道元禅師は「自己」と「他己」という言葉を使われています。「自」「他」は別々に切り離して考えられるものではなく、「自」の「己(おのれ)」、「他」の「己」と見て、根底では一つの「己」につながっている。自己・他己は、すべてひっくるめて「大己(だいこ)」であり、宇宙そのものが己だということであります。大宇宙にいかなることがあっても、そのことごとくが自分自身の問題であり、人の悲しみも喜びもみんな同じように感じる、それが仏さまの心だと教えてくださっております。
この運動の根底に流れている深い精神を改めてかみしめ、私たちが日常の中で実感してきた、他の人のお役に立てたとき、笑顔に触れたとき、その喜びの一つひとつを大切な心の糧として、50周年を機に、心新たに運動の実践に励んでまいりたいと思います。