戦後80年 未来に込めた思い 各地の平和学習会

三鷹教会 ワークショップで学ぶ世界情勢、富の格差

『ワークショップ版・世界がもし100人の村だったら』を教材に用いて学習会は進められた

82億人。国連が発表した2025年に到達する世界総人口だ。爆発的な人口増加の一方で、貧富の差が拡大。現在、世界の“富”の8割をわずか10%の富裕層が手にする。格差や不平等は人々を分断し社会の安定を脅かすばかりか、紛争やテロの一因になっている。

世界の実情に目を向け、自身の「平和な心」を見つけることを目的に、三鷹教会は5月25日、学習会「平和について考えてみよう」を教会道場で開き、青年男女、学生、少年部員ら約50人が参加。『ワークショップ版・世界がもし100人の村だったら』を教材に用い、体験しながら学ぶ方式で学習会は進められた。

参加者は5班に分かれ、『人口』『環境』『識字』など七つのテーマを基にした模擬体験に臨んだ。中でも、多くの部員が衝撃を受けたのは『格差 富を多く持っているのは誰?』だった。世界の富の総量を煎餅(せんべい)50枚に見立てて現実の分配率で各班に配布すると、富裕層の一班だけに40枚が集中。次に富の多い班には3.5枚、貧困層の班に至っては、ひとかけら(0.3枚)しか配られない結果になった。

「これが世界の現実なのか」――。模擬体験後、会場では参加者から驚きや疑問の声が上がった。

貧困層の班に属した青年男子部長(35)は「煎餅のかけらを10人で分けなければならない状況に、落胆や羨望(せんぼう)、怒りなどいろんな感情が湧きました。ワークの体験でさえ僕の心は大きく動揺しました。現実に直面する人たちはどんな心境だろうと思うと、胸が痛みます。格差による貧困に苦しむ人々に思いを馳(は)せたい」と感想を話した。

世界の現状を学ぶとともに、対話を通じて自身の平和を見つけることにも力点が置かれた。振り返りの場で、参加者は活発に意見を交わした。

自身の平和とは何か。振り返りの場で、参加者は活発に意見を交わした

「心の豊かさと富の多寡は比例しない」と指摘したのは青年女子部長(42)だ。「富を独占することと、一枚の煎餅を分け合うこと。どちらの心が豊かかと問われたら、迷わず分け合う方と答えます。人を思いやる心が平和への一歩と改めて気づかされました」と語った。

大学受験を控えた高校3年生(17)は自らの境遇と照らして平和を考えた。「入試が頭から離れずに毎日を過ごしています。今日はピリピリして平和じゃない自分を見つめられ、もっと家族や友人に目を向けて心を配ろうと思えました」と発表した。

終戦から80年の節目を迎えた今年、同教会は青少年育成の柱として平和学習を継続的に実施する。8月には武蔵野ふるさと歴史館による企画展『戦争と武蔵野Ⅺ』を観覧し、地元の戦史を学んだ。来春には、茨城県阿見町の予科練平和記念館を訪問する予定だ。

活動を中心となって進める青年部スタッフ(50)は、「分断と対立、暴力の連鎖が続く世界情勢の中、争いの愚かさと対話の尊さを若い世代に知ってほしい。信仰を持つ青年として世界に向けて何ができるのか。平和学習を通して、みんなで議論し見つけたい」と話している。

上田教会 地元の戦跡から平和を願う

学生部員は、本土決戦に備えて造られた「松代大本営地下壕」を訪ね、平和への学びを深めた

「うわー、涼しい!」「頭ぶつけないでね」。ヘルメットをかぶった学生部員が声をかけ合い、ゴツゴツとした岩壁に囲まれた道を歩く。外の猛暑から一転して冷気の漂うこの場所は、太平洋戦争末期、天皇や政府機関の“移転先”として造られた地下壕の一部だ。

上田教会は7月27日、戦後80年の節目に歴史を振り返り、青少年に非戦と平和の大切さを伝えることを目指して「学生部平和学習会」を開催した。小学生から高校生までの参加者ら19人が、長野市の戦跡「松代象山地下壕(まつしろぞうざんちかごう)」を訪れた。

当日朝は、戦跡の訪問前に平和への学びを深められるよう、髙橋一郎教会長が教会道場で研修を行った。髙橋教会長は、日本国憲法の前文にある「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」などの文言を紹介。戦後、諸宗教対話を通じて世界平和を追求した庭野日敬開祖の歩みに触れ、「開祖さまの願いは全くこの憲法と同じ」と学生に語りかけた。

髙橋一郎教会長による研修では、平和憲法の精神と諸宗教対話を通じて世界平和を追求した庭野日敬開祖の歩みが紹介された

午後、一行は長野市松代地区に移動。地元の戦跡から平和の尊さを発信するため、40年前から地下壕の研究・保存に取り組む長野俊英高校郷土研究班の海野修教諭と長谷川桂汰さん(同校3年生)に案内され、壕に入った。

象山地下壕を含む「松代大本営地下壕」は1944年11月から45年8月の終戦までに掘られ、総延長は10キロを超える。戦局の悪化で「本土決戦」の準備に迫られる中、天皇を中心に戦争を遂行する大本営などを東京から安全な場所に移すため、極秘で建設が進められた。

一行は暗く冷えた壕で、天井の岩盤に突き刺さった削岩機のロッドや、岩くずを運んだトロッコの枕木の跡を見て回った。当時、工事に携わった人々は建設の目的も知らされないまま、硬い地盤に穴を開けてダイナマイトを仕掛ける危険な仕事を担わされた。そこに動員されたのは、朝鮮半島や日本国内から集められた数千の朝鮮人、そして近隣の市民や学生だった。

同郷土研究班によると、過酷な労働環境の中で心肺を病んだり、爆発事故に巻き込まれたりして亡くなった方は少なくない。地元の住民も土地を取り上げられたほか、「膨大に出た岩石を木や葉っぱで隠すのに、当時の小学生さえも動員された」と長谷川さんは語る。あらゆる人生をいや応なくのみ込む戦争――その歴史を知った学生たちは、壕に残る労働者の痕跡を静かに見つめていた。

参加した学生部員(17)は「長野でも大勢の人が悲惨な出来事に遭ったのだろうと想像し、戦争の恐ろしさを実感しました。さまざまな視点から歴史を学んで、身近な場所から平和をつくっていきたい」と感想を話した。

学生部員の先輩として班をまとめた青年女子部員(25)は、「光のない壕で子どもたちが働いていたことに驚きました。戦争への危機感や平和の重要性を感じられる貴重な体験でした」と話す。上田教会では来年以降も、青少年が戦争と平和を学ぶ集いを実施する予定だ。

北広島教会 原爆殉難者を悼み、平和の灯を捧げる

中高生を中心に青少年部員ら35人は長崎原爆資料館を訪れ、被爆の惨状を学んだ

直前まで降りそそいでいた雨がやみ、長崎市の原爆落下中心地公園には、国内外から集った諸宗教の青年たちが列をなし、原爆殉難者に真心を込めて灯明を捧げた――。8月8日、同会場で催された「第53回原爆殉難者慰霊祭」(主催・長崎県宗教者懇話会)の中での一コマだ。戦後80年の今年、初めて北広島教会の学生部員ら代表10人が「平和の灯(ともしび)」に参加した。

同教会は8日から10日まで「長崎平和学習」を行った。企画したのは青年部長(51)。終戦から80年という節目を迎え、「自分だけでなく、隣人の苦しみにも目を向けて相手の心に寄り添える私たちになりたい」との思いが湧き、地元の広島県と同様に被爆した長崎県を学習先に選んだ。参加者は中高生を中心とした青少年部員ら35人。一行は慰霊祭に出席したほか、長崎原爆資料館などを訪れた。

8日の慰霊祭には、仏教、神道、キリスト教など諸宗教の指導者たちが参集し、原爆殉難者を悼み、世界平和への願いを新たにした。プログラムの一つである「平和の灯」では、今もなお戦争が続いているイスラエルとパレスチナの青年を含む約60人の代表者が、いのちの尊さをかみしめながら献灯。同教会の青少年たちの「平和の灯」への参加は、長崎教会の会員たちがサポートした。

リハーサルでは傘を差さずにはいられないほどの雨が降ったが、これもまた原爆投下直後の“黒い雨”や、水を求めながら亡くなった犠牲者に思いを馳せるきっかけになったという声も聞かれた。「平和の灯」に立候補した北広島教会学生リーダー(17)は、「国や宗教を超えて共に平和を願うという貴重な経験ができて有り難かったです。戦争をなくすことは難しいと思いますが、多くの人とともに安寧を祈願し、平和への意識を持ち続けることが大切だと感じました」と語った。

同日、一行は長崎原爆資料館も訪れた。館内のスロープを下った先には、被爆の惨状を伝える写真や現物の展示が広がる。参加者たちは、真剣なまなざしで見て回り、被爆者の体験に思いを巡らせた。学生部員(18)は、熱線で泡立った瓦などの被害を受けた現物に触れ、「当時の悲惨な状況をより近くに感じることができ、いのちの有り難さを実感しました。ご先祖さまや家族、身近な人に感謝を伝えていきたいです」と話した。

翌9日には、長崎教会道場で「被爆80周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に配信を視聴して参加するなど、青少年たちは3日間を通して一人ひとりが自身の平和に対する心を見つめた。今回の平和学習を機につながった縁を大切に、北広島教会では今後も青少年育成に尽力していく。