フォコラーレ運動主催の諸宗教の集いに光祥次代会長が出席(動画あり)
光祥次代会長がスピーチ
6月2日午前、フォコラーレ運動のマーガレット・カラム会長のあいさつの後、キアラ師の足跡をたどる映像が上映され、1981年に初来日したキアラ師が、本会本部を訪れ、庭野日敬開祖と懇談する様子などが紹介された。
次いで『自然の保護における諸宗教の貢献』をテーマにパネルディスカッションが行われた。ジョン・マンデル博士、マーク・ラファエル・ゲジ師(ユダヤ教)らと共に登壇した光祥次代会長がスピーチした。
この中で光祥次代会長は、京都市の龍安寺(臨済宗妙心寺派)のつくばいに刻まれた「吾唯足知(われただ足るを知る)」の精神を紹介。ここには、「通常の喜びや苦しみを超越する根源の満足」が表されていると述べた。また、「足る事を知る人は心穏やかであり、足る事を知らない人の心はいつも乱れている」との釈尊の言葉を引用し、深く満足する心がなければ、どれほど恵まれていても本当の幸せはなく、「『貧しい人』とは何も持っていない人ではなく、多くを持ちながら満足できない人」であると、この言葉から学ぶことができると強調。人々は謙虚に「根源の充足」に目を向け、すでに満たされている状態を深く味わうことが、現在の気候変動をはじめとする環境問題に向き合う上で大切と述べた。
さらに、人々が長期的、世界的規模で環境問題に立ち向かうことが求められる中、ローマ教皇庁の主導による諸宗教の環境への取り組みをはじめ、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)のような諸宗教ネットワークが果たす役割がさらに重要になると語った。
最後に、庭野開祖の「すべては自然から与えられているものばかりです。大いなるものから自分は生かされている、それは何のためか、という問いのないところに、正しい信仰は絶対に生まれてきません」との言葉を紹介し、人間のいのちが相互に密接につながり合い、全ての存在の営みによって生かされているという本会の考え方を説明。庭野開祖の言葉を自らに問いかけて生きていきたいと結んだ。
シャンティ・アシュラム、フォコラーレ運動、本会の青年による交流会
2日午後には、シャンティ・アシュラムのヴィヌ・アラム博士(同会長、WCRP/RfP国際共同議長)の呼びかけにより、シャンティ・アシュラム、フォコラーレ運動、本会の青年参加者による交流会が開かれた。冒頭、代表者が「平和の祈り」を捧げ、本会はローマセンターの学生部員(19)=が英語で『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』の一節を読み上げた。各団体の代表者による体験発表の後、光祥次代会長があいさつを述べた。
光祥次代会長は、アラム博士の呼びかけに謝意を表した上で、アラム博士とは諸宗教対話・協力に関する国際会議などで頻繁に顔を合わせる中で関係を築き、国籍、宗教、言語を超えて心の底から信頼し合える関係を結ぶことができたと述懐。参加者に向けて、身の回りで信頼できる仲間をつくってほしいと語りかけた。
アラム博士は、「ここにいる皆さんは、『他者のために自分の身心を使わせて頂く』という奉仕の精神を共有しています。そして他者に与えることが自らの成長につながることを知っているのです」と語り、青年同士が友情を育み、互いの成長を支え合えるような関係を築いてほしいと話した。
ローレンス・チャン氏(フォコラーレ運動メンバー、バチカン諸宗教対話省コンサルタント)は、古くから続く3団体の交流を通じ、多くの人と出会い、諸宗教対話・協力の重要性をかみしめるとともに、自分自身を育成してもらったと振り返った。その上で、地球規模の社会課題の解決に向けて、世代を超えた長期的なプロジェクトを進める重要性を強調。3団体の良好な関係を次世代に引き継ぎ、その連携によってさまざまな活動が展開されることに期待を寄せた。
青年隊のメンバーとして集いに参加した板橋教会の青年女子部員(25)は、「各国の宗教者の話の中に、『他者のために身心を使う』『大いなるものに生かされている』といった、佼成会の会員である私も共感するような共通の価値観を見いだすことができ、世界中に仲間がいるという希望を抱きました。特に印象に残ったのは、アラム博士が光祥さまとの関係に触れた際、『友情を育むのに、会う時間の長さは関係ない』とおっしゃっていたことです。私は相手を100パーセント理解しない限り分かり合えないと思い、教会や職場で〈もっと理解しなきゃ〉と、自分の足りなさを省みることが少なくありませんでした。でも、まずは、一つ一つの出会いを、仏さまに頂いたご縁として感謝の心で受けとめ、相手を知ろう、理解しようという姿勢で誠実に向き合っている自分を認めたいと感じました。そうすることで、おのずと周囲と良好な関係を築いていけるのだと学びました」と今回の集いを振り返った。