身延山久遠寺で持田日勇法主の晋山式 庭野会長の名代として熊野理事長が参列
日蓮宗総本山身延山久遠寺(山梨・身延町)の第93世法主に就任した持田日勇師の晋山式が5月7日、同寺本堂で挙行された。立正佼成会から庭野日鑛会長の名代として熊野隆規理事長が参列。佐原透修総務部次長(渉外グループ)が同行した。
持田法主は1936年に東京都で生まれ、13歳で得度した。61年に立正大学大学院文学研究科仏教学専攻を履修後、66年に本久寺(東京・墨田区)の住職となった。72年に日蓮宗宗務院の総務課長に就任。77年から宗会議員を4期務める中、日蓮聖人第700遠忌で報恩奉行会事務局長として記念事業を成功に導いた。
また、幼少期に東京大空襲を経験したことから、平和活動や国際交流にも尽力。世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会評議員のほか、日蓮宗海外布教後援会や日蓮宗國際佛教親交会の会長を歴任した。さらには、日中韓国際仏教交流協議会、日中友好宗教者懇話会名誉会長などの重責を担い、中国佛教協会から「日中佛教友好使者」の称号を授与された。
2018年、内野日総前法主より要請を受けて身延山久遠寺の総務に就任。多くの人々と信仰的なつながりを強め、愛される身延山を発展させたいとの願いから「共栄運動」を発足し、さまざまな事業を展開してきた。今年1月21日の内野前法主遷化に伴い、翌2月に住職寺である藻原寺(千葉・茂原市)での請待式を経て、3月13日に身延山に入山した。
本会と久遠寺のつながりも深く、庭野日敬開祖の代から教団役職者らが参拝。同寺の歴代法主らが本会を訪れた際には、庭野開祖や庭野会長との懇談の場が持たれてきた。2009年には、同寺で行われた「五重塔落成慶讃奉告大法要」に庭野会長が出席。8月の「波木井山川施餓鬼法要」に参列の際に同寺を訪問し、内野前法主らと懇談してきた。また、周辺地域を包括する本会鰍沢教会をはじめ全国各教会が練成会や参拝を通じて親交を深めている。
本堂で行われた晋山式には、日蓮宗大本山池上本門寺(東京・大田区)の菅野日彰貫首(日蓮宗管長)をはじめ宗教者や信徒ら約800人が参列。持田法主を導師に執り行われた法要では、持田法主が「継承譜」を記入し、法主就任の「奉告文」を奏上した。次いで、菅野貫首、中国佛教協会の演覚会長、信徒総代が祝辞を述べた。
この中で菅野貫首は、若き日の持田法主と日蓮宗の未来を見据えて熱く語り合った当時を懐かしみ、「この度のご晋山を我が喜びとして受け止め、心よりお喜びを申し上げる次第でございます」と言祝(ことほ)いだ。
最後に、持田法主の挨拶が代読された。挨拶では冒頭、自身が喉頭がんの摘出手術を受けて発声が難しいことを報告。「言語発声に努力をいたし、お祖師さまと皆さまのご期待に応えられるよう精進いたす所存でございます」と決意を示した。
さらに、生前の内野前法主と「身延山を発展させていくために、愛される身延山を作りましょう」と語ったことを述懐。そのために「共栄運動」を始めたと話し、同運動とは六波羅蜜を実践して他を労(いたわ)り、他を尊重し、他を生かし、他に生かされているいのちを知り、共に幸せになることであると強調した。その上で、どんな人も差別することなく利他の精神を持って日常の生活を生き抜いていくと述べ、「世界の平和を願い、争いのない社会を作っていきます」と決定(けつじょう)した。
なお、翌8日には、内野前法主の本葬が同寺で執り行われ、熊野理事長らが引き続き参列した。