大聖堂で「御親教」式典 庭野会長が『畏敬』の大切さを説示(動画あり)
年頭にあたり、庭野日鑛会長の法話を通して一年の修行精進を誓う立正佼成会の「御親教」式典が1月7日、大聖堂(東京・杉並区)で行われた。法話の中で庭野会長は、今年の書き初めで新たに揮毫(きごう)した『畏敬』について触れ、「私たちは、地球や太陽のおかげさまで今生かされている」と受けとめることが大切と説いた。大聖堂には、全国から会員約1100人が参集。式典の様子はインターネットで会員向けにライブ配信された。
式典は、東京佼成ウインドオーケストラの序奏で開幕。庭野光祥次代会長導師による読経供養に続き、熊野隆規理事長が年頭挨拶を行った。
熊野理事長は、元日に発生した「令和6年能登半島地震」に関する本会の対応を報告。発災翌日に災害対策本部を設置し、現地にスタッフを派遣して被害状況、被災者のニーズの把握に努めていると話した。
さらに、中部教区の教会の尽力によって支援物資を現地に届けられたと伝え、謝意を表した。引き続き、被災地の現状に応じた支援を検討していくと述べ、それを支える会員に「一食(いちじき)を捧げる運動」の実践を通した献金など経済面での協力を呼びかけた。
また、コロナ禍を通して仏の教えや自身の信仰などを問い直した体験を語り、一人ひとりがそうした今を「再出発の時と捉えて、迷いの中で一歩を踏み出すことをお願いしたい」と述べた。
続いて、光祥次代会長が新年のあいさつに立った。この中で、光祥次代会長は、能登半島地震の犠牲者の冥福を祈るとともに、今も余震が続き不安の中で過ごす被災者に思いを馳(は)せ、「一人でも多くの方が無事であってほしいと祈るばかりです」と語った。
また、自身も被災しながら、一人暮らしの隣人を心配して声をかけた会員のエピソードを紹介し、「どんな状況でも、自分がどうありたいかは自分で選べる。縁起を観じて、自在に生きるとはそういうことだと改めて思いました」と吐露した。それは、家族と過ごす時も、職場や教会にいる時も同じであり、「心から満足できる自分であろうとする自由、それが自分の仏性を信じるということ」と示した。
しかし、そうありたいと願いながらも行動できない心の奥には、「悲しみや苦しみ、不安や恐れ、自信のなさが詰まっているのかもしれない」と述べ、「そうした思いを話す場、聞いてもらえる場が佼成会のサンガであったらいいなと思っています」と語った。
この後、古河教会支部長(54)が「決意の言葉」を述べた。支部長は、コロナ禍の中で、一人暮らしの女性会員から体調不良を訴える連絡を受け、感染の不安を抱えながら病院に付き添った体験を述懐。その後、当時の心境を顧み、「人間としての『弱さ』を感じながらも、行動し、真心を尽くす」ことの大切さに気づき、それを今も大事にしていると伝えた。
また、サンガ(教えの仲間)に対面できない中でも、機関誌「佼成」や教会通信を届ける時、一人ひとりの顔を思い浮かべて書いたメッセージを同封していると話した。現在は、祥月命日にあたる会員の家族を訪ね、故人を偲(しの)ぶ読経供養を一緒に行うことで喜びの輪が広がっていると語り、多くの人と感謝や気づきを共有できるよう布教に励むことを誓った。
「御親教」に立った庭野会長は、能登半島地震の被災者に思いを寄せながら、理学博士である佐治晴夫氏の著書『14歳のための時間論』の一部を引用し、人類は進化の過程で、巨大地震による地形の変化で生じた自然環境に適応するため二足歩行になったと説明。背骨の上に頭が乗ることで、大きく重い脳を持つ「考えることのできる人類」になれたのであり、人類、地球という大きな視点で見ると、「地震は人間が進化する要因でもある」と述べた。
また、今年新たに揮毫した『畏敬』について、「地球や太陽のおかげさまで、私たちはこうして今生かされている」と受けとめる大切さを説示。人間は地球でしか生きられないにもかかわらず、戦争などを絶えず繰り返していると指摘し、「争いを止める責任が一人ひとりにあることを自覚し、精進することが大事」と語った。
大聖堂での式典に参加した大船教会主任(56)は、「どんな状況でも、自分がどうありたいかが大切なのだと学ばせて頂きました。今年は、支部の皆さんと対面する機会を少しずつ増やし、心に寄り添う触れ合いをしたい」と話した。