バターン特別平和使節団がフィリピン訪問へ 

トアソン氏の墓前で読経供養を執り行った中村習学部部長(写真提供・青年ネットワークグループ)

「陰日なたなく、いつも目の前の人を助けていたジョペットさんの姿を表し、お戒名に『助』という字を入れました」――。

フィリピン・バターン州にある墓地を訪ねた立正佼成会の中村記子習学部部長は、一基の墓石を前に、「輝生院法助智德信士」と記された戒名の由来をそう説明した。ここは、会の青年と長年交流するバターンキリスト教青年会(BCYCC)の前会長であるホセ・パウロ・バンソン・トアソン氏の墓だ。「ジョペット」という愛称で親しまれたトアソン氏は、一昨年の5月、交通事故により36歳の若さでこの世を去った。

墓前ではトアソン氏の遺族が中村習学部部長の話を真剣なまなざしで聞いている。中村部長は戒名の由来を説明すると、「ジョペットさんはご家族の心にも、そして私たちの心にも生き続けています」と結んだ。

4月8日から11日まで、中村習学部部長をはじめ庭野嘉照同部次長(青年ネットワークグループ)ら4人が「バターン特別平和使節団」としてフィリピンを訪れた。本会一食(いちじき)平和基金の支援で新築されたバターン図書館・青少年人材育成センター(BLYDC)や、昨年、大規模な修繕工事が完了したモンテンルパ日本人墓地休憩所などを歴訪。過去に起きた戦争による犠牲者の慰霊と平和への祈りを捧げるとともに、日比のさらなる友好を深めることが目的だ。

中村習学部部長と共に鐘を突いたのは、BCYFIのアナ・マリア・バンソン・トアソン理事長(写真提供・青年ネットワークグループ)

バターン州は、第二次世界大戦で旧日本軍が米比両軍の捕虜を移送する際に80キロ以上の道のりを歩かせ、飢えや熱病により1万数千人以上の死者を出した「死の行進(デス・マーチ)」の出発点「0キロメートルポイント」がある。使節団一行は9日、同州にある日比友好のシンボルとして建立されたフレンドシップタワーを訪れ、建立48周年記念式典を開催した。

近年、新型コロナウイルス感染症の流行で海外渡航がかなわず、BCYCCのメンバーに会うのも数年ぶり。再会を喜ぶメンバーの中には新しい顔触れも目立った。本会とBCYCCが日比友好を願って築いてきた縁が次世代へと受け継がれていることに、その場にいた全員が熱い思いに包まれた。

その式典後、両メンバーと共に訪ねたのが、本会の青年との対話や交流に尽力したトアソン氏の墓地だ。トアソン氏に思いを馳(は)せながら、墓前で読経供養を厳修。妻であるベロニカさんは「多くの人を助け、人々に輝きをもたらしていたジョペット。BCYCCの取り組みも、義務感ではなく、心の底からやりたいと自分の意志で励み、BCYCCのメンバー、そして佼成会を大事に思っていました」と語った。

読経供養を終えた一行に、小さな男の子を腕に抱いた一人の女性が声をかけてきた。バターンキリスト教青年財団(BCYFI)と一食平和基金の合同事業である奨学金プログラムを受けた卒業生の一人だった。偶然の出会いに一行は驚きつつ、元気な姿に喜びをかみしめた。彼女は現在、マニラ市で子育てをしながら働いているという。「支援のおかげで大学を卒業することができました。職に就きながら過ごせています」。そう言って、女性はわが子を見つめ、にこやかに笑った。バターンと本会の架け橋となったトアソン氏の精神は今後も両国の人々の未来を明るく照らし、後世に受け継がれていく――。