大聖堂で「御親教」式典 「元氣」に探究し創造を

庭野会長は、教えを通してさまざまなことを学び、元気に創造し、平和な世界を築く大切さを説いた

年頭にあたり、会員一人ひとりが法縁に触れた喜びをかみしめ、仏道精進の決意を新たにする立正佼成会の「御親教」式典が1月7日、大聖堂(東京・杉並区)で行われた。庭野日鑛会長は「御親教」の中で、『素心(そしん)』『元氣(げんき)』の二幅の書き初めを披露。今年揮毫(きごう)した『元氣』について、探究への意欲を常に持ち続け、前向きに生き生きと平和な世界を創造していく大切さを示した。

大聖堂には、拠点を移した杉並、中野両教会をはじめ、3年ぶりに再開された本部参拝によって全国から会員が参集。また、インターネットによる式典映像のライブ配信も引き続き行われ、遠方の会員らは教会や家庭などそれぞれの場所で心一つに式典に参加した。

「御親教」に立った庭野会長は、人間は何を根本にして生きているのかという問いに、安岡正篤氏の『活学百言』の中から宇宙と人間の関わりについての一節を紹介し、生き生きと働くことが人間の本能で、学問や道徳(信仰も含む)に励むことが本領であると説明。そうした人類共通の根本原理をしっかりと認識し、前進しなければならないと示した。

また、金子みすゞの『不思議』という詩の中で繰り返される「わたしは不思議でたまらない」という文言に触れ、自身がよく考察する宇宙の不思議について言及。村上和雄筑波大学名誉教授(故人)と、理学博士の佐治晴夫鈴鹿短期大学名誉学長の対談記事を取り上げ、月の引力が地球の自転に影響し、生物が生きられる環境が作り出されていること、「無」とは何かなど、両氏の話を通して人類や生命の成り立ちについて解説した。

さらに、宇宙や遺伝子について研究する中で両氏が感じている「宇宙に存在するあらゆるものが根底で結ばれている」という話から、「お二人の対談の意味をかみしめ、仏さまの教えを頂く中でいのちをどうとらえていくのかが、私たちにとってとても大事なことになります」と述べた。

また、聖壇上に掲げられた『素心』『元氣』の書き初めを披露。今年新たに揮毫した『元氣』について「一番、人間にとって大事なこと」とかみしめた上で、「元」の字に触れ、「二」は上を表し、下の「儿」は人が活動するとの意味があると説明した。神仏によって万物が創造されるように、人間も前向きに創作活動する大切さが「元氣」のもとにあると説いた。「人間はなぜ生かされているのか、そうしたことを不思議だと思える、この知りたいという思いが生きる意欲につながっていきます。そうした気持ちを失うことなく、皆さんと共に精進をしてまいりたい」と述べた。

光祥次代会長が新年の挨拶

式典は、東京佼成ウインドオーケストラによる序奏で開幕。国歌・会歌の斉唱に続き、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われた。

新年の挨拶に立った光祥次代会長

國富敬二理事長の年頭挨拶に続いて、光祥次代会長が新年の挨拶を述べた。この中で光祥次代会長は、昨年の「御親教」式典で示した「法華経を生きる」について、「自分自身を信頼できるか」という点を大切にしていると吐露。人間は不完全な存在で、至らない面も間違う時もあるが、人との縁を通してそうした弱さに気づき、誠実に向き合い、その気づきを生き方に反映できる自分になれたなら、不完全でも信頼できると話した。

一方で、現実はプライドや慢心が邪魔をして、気づこうとする心にブレーキがかかることがあると説明。法華経は、そんな自分の中にある「気づく力」を信じる教えであり、自他の「気づく力」を信じて、仏性が動き出すのを待つことが「法華経を生きる修行」と示した。その上で、「諸仏に護念されていると信じられる正定聚(しょうじょうじゅ)」とは自分の思いを安心して語れて、自分の弱さを大切に受け取ってくれる人がいる場所であり、「自分を信頼できるようになりたい誰かのために、その人の仏さまを信じる私でありたいと願う心から始まります。そのようなことを大切に、今年一年過ごしていきたい」と語った。

次に、上田教会支部長(66)が「決意の言葉」を発表した。支部長は、髙橋一郎教会長の「心の蓋(ふた)を開ける」との言葉を糸口に、母親を許せない支部の主任や夫婦仲に悩む息子との関わりの中で、長年隠してきた自身の祖母に対するわだかまりと向き合った体験を述懐。先祖供養を通して祖母や家族の真の思いに気づき、感謝できた喜びを語った。

その後、息子の嫁から前向きな気持ちが聞けたこと、関わってきた主任が初めて母親への憤りを打ち明けてくれたことを報告。共に先祖供養に取り組んだ主任は、母親に愛されていた自分を認めることができたと語り、明るく前向きに菩薩行に励む主任の姿を通し、庭野会長の「心田を耕すとは本当の自分を知ること」という教えの意味をかみしめたと述べた。一人でも多くの人が生き生きと精進できるよう布教伝道に邁進(まいしん)することを誓願した。