庭野会長 「朔日参り」式典で法話 自然に呼吸するように信仰を

庭野会長は、コロナ禍で生じた変化は生活を見直す機会になると話した

10月1日、「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が大聖堂(東京・杉並区)で行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。その模様がインターネットの動画共有サイトで全国の立正佼成会会員に向けて配信された。

式典では庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、中越康裕総務部次長(管財施設グループ)が体験説法に立ち、自身の信仰の歩みを披歴した。

この後、庭野会長が登壇し、法話を述べた。庭野会長は、『論語』の「吾(われ)日に吾(わ)が身を三省す」という言葉を紹介した上で、コロナ禍の今、在宅勤務の広がりや会議のオンライン化などさまざまな変化を通して、これまでの時間や経費の使い方が見直され、現代人の生活が省みられていると話した。加えて、「省」には「省(はぶ)く」という意味もあり、現代人の多忙な生活の中にある無駄を省くことにもつながっていると語った。

一方、科学技術の発展は便利さをもたらしたものの、その分、現代人は自分たちのいのちが太陽や水、空気などによって生かされている事実を忘れ、感謝の念が薄れてしまいがちと指摘。「お天道さまを拝むといった心を取り戻すことが、これからの人間が真の幸福をつかむために必要」と強調した。また、給与の銀行振り込みやキャッシュレスによる買い物などは便利であるものの、物事の有り難みを薄れさせてしまうとし、「科学的な発展は大事なことに違いありませんが、人間はやはり心を失ってしまったら、何にもならないわけであります。特に宗教は人間の心を大事にするわけですから、私たちはそうしたことに努めていかなければなりません」と説示した。

さらに庭野会長は、日々学ぶ大切さを説いた先賢の言葉を挙げながら、一日一日を大事にして、自然に呼吸するように信仰し、人と仲良くしていく姿勢を促した。「コロナ禍で不便なこともありますが、心を見つめる機会を私たちは頂いているのです」と述べた。