内藤麻里子の文芸観察(75)

野宮有さんの『殺し屋の営業術』(講談社)は、殺し屋たちが織りなすだまし合いを描いた知的で刺激的な作品だ。コンプライアンスに配慮しなければならない時代に、エンターテインメントに振り切った殺し屋の世界を描き出してみせた。小説とはこういうものだ。

鳥井一樹は完全歩合制で、防犯カメラやウォーターサーバー、太陽光パネルなど雑多な商材を売りまくるトップセールスマン。通常は飛び込み営業ばかりなのだが、ある日、会社のホームページに寄せられた問い合わせに対応すべく向かった先で、殺し屋たちの仕事の現場に出くわしてしまう。彼らは殺人請負会社(マーダー・インク)に属し、口封じに鳥井を殺そうとする。そこで起死回生の一手、彼らの営業マンになる提案を繰り出した。

こう紹介するとコミカルな展開を予想すると思う。確かに鮮やかなセールストークから幕が開き、トップセールスマンであるがゆえに、どこかの首相と同じようにワークライフバランスに一人対応できず悩む始末――と軽やかな語りの一方で、この主人公の抱える問題が徐々に物語に影を落とす。そもそも序盤で営業の才能について以下の三つを挙げる。一つ目は「継続力」、二つ目は「外面のよさ」。ここまではいいが、三つ目にくるのが「空虚さ」である。なんだこりゃ、なのだ。

鳥井は小器用で、幼いころからさまざまな賞賛を勝ち得てきた。けれどどこか虚(むな)しい。営業でトップの成績を上げても、生きている喜びが感じられない。しかし、それどころではなく、殺されないために営業スキルをフル活用する。やがて、鴎木(かもめぎ)美紅という対立組織の殺人請負部門のトップセールスに目をつけられてしまう。

「メラビアンの法則」「返報性の原理」そして鳥井独自の「五%の法則」など、コミュニケーションやマーケティングの手法を絡めながら営業やだまし合いを描写する語り口に、いつの間にかはまってしまう。そして始まる鴎木との壮絶なだまし合い。一瞬でも目を離したら、振り落とされそうな詐術を構築する。

当初は“人を殺さずに殺人を犯す”という穏便な方策を探り、一般人の良識を保とうとする鳥井だが、それこそまたそうは言っていられない状況に追い込まれる。そして立ち現れる本性は、パンドラの箱を開けたよう。スカッとするものの、うすら寒さがたまらない。

本作は江戸川乱歩賞受賞作。主要登場人物の名前が鳥にちなむお遊びも楽しい。夏に出た本で遅ればせだが、紹介しておきたい1冊だった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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