一人ひとりが「志」を持ち、いろいろな「優秀さ」が並び立つ社会を 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長・上田紀行氏

子供たちの「希望」を育てる教育が大切と語る上田氏

近年、大学の学生たちの気質が変わってきました。特に感じるのは、自分は人からどう見られているのかと、周囲の評価ばかり気にする学生が増えたことです。「人から変な人だと思われたくない」「人に受け入れられたい」――そう思って、なるべく自分の個性を出さないようにするあまり、〈自分は本当はどんな人間なのか〉〈この一生で何をやりたいのか〉といった、とても大切なことを見失っているように思います。

今の社会では、人からの評価がますます厳しくなっています。子供たちだけでなく、先生たちも学校や保護者、社会から常に評価され、何か問題があれば、とにかく「改善」を求められます。工業製品ならばそれでもいいでしょう。例えば、車を安全に走らせるには、いろいろな所をチェックして、欠陥があれば全て直さなければなりません。でも、人間は機械の部品ではないのです。

人間は誰でも欠点があります。ダメな所があるから面白いとも言えます。でも、学校では全ての科目で満点を取る生徒が「良い子」と見なされます。親も、子供が算数で95点を取ったら、「じゃあ、漢字の書き取りも頑張ろうね」などと言いませんか? せっかく子供が自分の良さを発揮したのに、ことさら他の悪い所を探して指摘するのです。もっと良くなってほしいという愛情なのでしょうが、子供にとってみれば、「ここも足りていない、あそこも足りていない」と言われたら、自信をなくしてしまうでしょう。

マイナスの部分を埋めて無理に満点を目指すのではなく、子供の素晴らしい所を褒めて、子供が自分の「優秀さ」を自覚できることが大事です。謙虚さが美徳とされる日本では、そうした自覚は敬遠されがちですが、「自分のこの力を人のために使いたい」「みんなを幸せにしたい」といった願いがその根底にあれば、周囲も応援してくれるのではないでしょうか。

「全国教育者習学の集い」では、上田氏を囲み、『内的成長の視点から関わる現場教育~子どもが輝いて生きるために』をテーマに鼎談が行われた

一人ひとりが自分ならではの「志」を持ち、それぞれの分野で努力していけば、いろいろな「優秀さ」が並び立っていきます。多種多様な志を持った人が切磋琢磨(せっさたくま)し、助け合い、刺激を与え合いながら、ワクワクする社会をつくっていけると思います。私たち教育者は、単に子供の成績が優秀かどうかではなく、〈この子は何をやりたいのか〉という視点に立って子供たちの「希望」を育て、内的成長を促す関わりをするべきだと思います。

「自分はどこにでもいる普通の人間」などと言うのは、自分が誰か他の人と「交換可能」ということであり、これほど人間の尊厳を傷つけることはありません。一人ひとりは何物にも代え難い、かけがえのない存在なのです。子供たちがそうした自分の「かけがえのなさ」に気づくためにも、まず教育者自身が日頃の学校業務の中で見失いがちな自分らしさを取り戻すことが大切ではないでしょうか。

チベット仏教の指導者であるダライ・ラマ十四世は、「良き種を蒔(ま)けば、良いことが起こる。良き種は必ず芽を出し、いつか花を咲かせる日が来る」と語っています。教育でもそうです。たとえ、すぐには結果が出なくても、いつか子供たちが花を咲かせる時のために日々良き種を蒔き続けていると思えば、先生たちも大らかな気持ちで子供たちに接することができると思います。それが自分自身を輝かせることにもなるのです。私たち教育者が抱くその「希望」は、必ず子供たちにも伝わると信じています。

(1月30日、「全国教育者習学の集い」の鼎談=ていだん=から。文責在編集部)

プロフィル

うえだ・のりゆき 1958年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修了。文化人類学者、東京工業大学教授。2016年から同大学に新設のリベラルアーツ研究教育院長として、「志を育むリベラルアーツ教育」を推進。著書『生きる意味』(岩波書店)は100大学以上で入試問題に出題されている。現代仏教の再興にも力を注ぎ、『がんばれ仏教!――お寺ルネサンスの時代』『目覚めよ仏教!――ダライ・ラマとの対話』(ともにNHKブックス)を出版。

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