沖縄県うるま市の中高生がつくる奇跡の舞台~肝高の阿麻和利~ 演出家・平田大一氏

迎えた初公演、勝連城が世界遺産に登録されることもあり、2日間で約4200人が来場しました。舞台袖から客席をのぞく子供たちは、2000人以上の人を見て圧倒されていました。慌てて台本を真剣に読み返すのですが、これまでろくろく稽古もせず遊んでばかりいたので、舞台はボロボロです。ですが、子供たちが失敗するたびに会場からドッと笑いが起こりました。「しんこう(心配するな)!」「なんくる、なんくる(大丈夫、大丈夫)!」。よく見ると、猛反対していた親や教師が舞台の前を陣取り、子供たちに声援を送っていたのです。

公演では、沖縄の伝統芸能「エイサー」に用いる太鼓の演奏が披露された

2日目、3時間の公演を終え、舞台が暗転するとホールライトに照らされた子供たちは達成感と感動で涙を流していました。その涙を見て、大人も泣くのです。「あれはうちの子じゃない」。家でろくに会話もしない息子が舞台で跳びはねて歌っている。たくましくなったわが子を見て、親の感慨もひとしおだったのでしょう。

子供たちにも変化が表れてきました。出演する子供の3分の1は長期欠席、あるいは不登校でした。舞台を通して連帯が生まれると、「ここで出会った友達ともっと一緒にいたい」と学校に通い始める子供が出てきたのです。初めて親に褒められた子供もいます。こうしたことが積み重なり、いつしかこの舞台は“奇跡の舞台”と言われるようになりました。

物語の主人公である阿麻和利は、7歳の時に身体が弱いことで親から捨てられた子供です。阿麻和利は捨てられた洞窟で蛾(が)が蜘蛛(くも)の巣に引っ掛かり、食べられるのを目撃しました。小さな虫が懸命に生きている姿に、「自分もこんな所で死んではいられない」と、地元からなるべく離れた場所に行きました。そして村から遠く離れた勝連にたどり着きます。そこで魚が釣れずに困っている漁師に阿麻和利は蜘蛛の糸にヒントを得て、網で魚を一網打尽にする知恵を授けます。天から降りてきた人だとたたえられ、“天降り”が転じ、阿麻和利の名前になったと言われています。

「親に捨てられた子供がなぜ王様になれたの?」。一人の子供に聞かれ、ギクッとしました。台本には一切出てこないのです。「捨てられた痛みがあって、人に優しくできたからじゃないかな」。そう伝えると、「そっか」と静かに言い、その子は帰っていきました。

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