被爆の記憶を受け継ぎ、非戦の誓いと平和の尊さ語る 広島被爆体験伝承者・細光規江さん
原爆に遭ってからの貞江ちゃんの人生は、とても寂しく悲惨でした。「お父さんどこ行った? お母さんどこ行った?」。そうやって捜そうにも、両親はもうこの世にいません。
ガラスで傷ついた貞江ちゃんの頭のけがは、直に良くなりましたが、明くる年、全身に「おでき」ができました。さらに、右腕に開いた三つの大きな穴から膿(うみ)が流れ出て、治るのに半年もかかったそうです。また、放射線が体内に入ると細胞を壊しますが、一番壊れやすいのが骨髄です。血を造る大事な部分ですが、貞江ちゃんはそこも放射線による影響を受け、貧血に苦しみ続けました――。
その後も数々の困難に押しつぶされそうになる中でも、両親の分まで生きたいという思いは捨てずに、体を大事にして生きてこられた笠岡さん。今も元気にされています。しかし、心身に傷を負った被爆者の苦しみ、悲しみはずっと続くのです。
たった一つの原爆が、夢や希望、未来を、命と一緒に奪ってしまった。「原爆さえ落とされなければ、戦争さえなければ。悔しい!」。笠岡さんは今も、繰り返し、私にそう伝えてくださいます。
原爆の犠牲者は、それぞれ違った名前、違った人生がありました。数十万人を傷つけた一発の原爆、ということではなくて、一人ひとりが傷つき、亡くなった“数十万発の原爆”というふうに捉えると、命の重さが感じられるかと思います。どうか、その命の重さを胸に刻んで、平和のための行動を起こしてください。私たち一人ひとりに、「平和をつくる」責任があります。
私は自分の使命として、笠岡さんの体験を今後も伝えていきます。地球上から核兵器がなくなり、安心して明日を迎えられるような、平和な世の中にしていきましょうと訴え続けます。
(2月14日、立正佼成会の第二団参会館で行われた「被爆体験伝承講話」から)
プロフィル
ほそみつ・のりえ 1963年生まれ。NPO法人「ヒロシマ宗教協力平和センター」(HRCP)理事。2015年4月より、広島市が養成する「被爆体験伝承者」として活動開始。現在、広島平和記念資料館での伝承講話のほか、全国の学校などに派遣されて講話も行う。