【佐喜眞美術館館長・佐喜眞道夫さん】戦後80年。今、「沖縄戦の図」が伝えるもの
私たちはどう生きるか――
――94年の開館から、来館者の様子に変化は?
2022年のロシア軍によるウクライナ侵攻以降、来館者の滞在時間が長くなり、真剣に作品と向き合う姿を見る機会が増えたように感じます。近頃はさらに、イスラエルの攻撃によって困難な状況に置かれているパレスチナ自治区ガザの窮状が報じられるようになり、皆さん、平和が脅かされる危機感を抱くと同時に、過去の戦争から学ぼうという意識が高まっているのではないでしょうか。
絵画を鑑賞する時、見る者は、作者が選んだテーマやモチーフ、色使いや筆致からその表現を全身で受けとめます。解釈は自由。数秒で素通りする時もありますし、作品に圧倒され、しばらく動けなくなることだってあります。

当館には、作品を鑑賞し終わった来館者が自由に感想を記すことができるノートがあります。日本語はもちろん、英語、スペイン語、韓国語、ベトナム語……あらゆる言語で、作品を見てかき立てられた平和への思いなどがつづられています。その中で、最も印象に残っているのは、ある女子高校生の言葉です。「私は今日の今日まで死ぬことしか考えてきませんでした。しかし沖縄戦の図を見て、明日から生きていけそうな気がします」。
「沖縄戦の図」は、丸木夫妻が、沖縄のおじいさん、おばあさんたちの証言を丁寧に聞き取り、彼らの姿をモデルにして描きました。先人たちがつらい過去を思い出し、絞り出すように語ってくれたのは、沖縄戦の悲劇を孫子に体験させたくないという思いがあったからです。そして、そのさらに奥には、沖縄に古くから伝わる「命(ぬち)どぅ宝(私の命、あなたの命、そして全人類の命こそが尊い)」の精神があると思います。
この女子高校生は戦争に言及こそしていませんが、作品が、沖縄の平和の精神を彼女の胸に届けたのだと思います。芸術作品の持つ根源的な力とはこういうものだと実感する出来事でした。
――戦後80年を迎えた今、丸木夫妻は私たちに何を伝えているのでしょうか
「沖縄戦の図」はしばしば、平和の絵、反戦の絵と言われますが、私は、祈りの絵でもあると思っています。沖縄戦では、20万トンもの爆弾が投下され、木も草も大地ごと吹き飛ばされました。こうした攻撃を受けた遺体は肉片となって飛び散り、原形をとどめません。

佐喜眞美術館の敷地内を舞う蝶。沖縄では、ハベラ(蝶)は死者のマブイ(霊魂)の象徴と言い伝えられている
しかし、この絵に描かれた遺体は全てきれいな線で描かれ、人間本来の美しい身体が表現されています。なぜ実際とは違う姿なのか。それは、人の尊厳、仏性を大切にしたからです。位里さんは熱心な安芸門徒の家庭で、俊さんは北海道の浄土宗寺院の娘として生まれ育ちました。二人の中にある仏教的な捉え方を垣間見る部分です。≪せめて絵の中では、こう描いてあげたい……≫。戦争に未来を奪われた人々への追悼と鎮魂の祈りがここに描かれているのです。
私は戦後生まれで、沖縄戦そのものを体験していません。だからこそ、歴史をないがしろにすることなく、真摯(しんし)に学ぶ姿勢が、求められていると考えています。人は忘れる生き物です。丸木夫妻の描いた「沖縄戦の図」の前に立つたびに、二人の平和に対する願い、非戦の誓いをかみしめます。
戦後80年。今を〝次の戦前〟にしないために私たちはどう生きるか――絵の中の子どもたちからそう問いかけられているように思えてなりません。
プロフィル
さきま・みちお 1946年、沖縄から熊本に疎開した両親のもとに生まれる。立正大学大学院文学研究科史学専攻を修了。鍼灸院を開業するとともに美術品のコレクションを開始し、丸木夫妻から「沖縄戦の図」を託され、94年に佐喜眞美術館を開館した。著書に『アートで平和をつくる』(岩波ブックレット)、共著に『戦争と美術――戦後80年、若者たちに伝えたい』(かもがわ出版)。
佐喜眞美術館

沖縄県宜野湾市上原358
【開館時間】9時半~17時
【入館料】一般900円、大学生・シニア800円、中学・高校生700円、小学生300円
【休館日】火曜日、年末年始、旧盆
ウェブサイト https://sakima.jp/