【精神科医・名越康文さん】虚しさが癒える道筋は仏教にある

慈悲の心で立ち向かう

――いのちのつながりを実感するのは容易でないと感じます

そうですね。人間は思い通りにならないことに怒りを覚え、その原因を他者に求めやすいのです。赤ちゃんが泣くのも、不快を怒りとして表して周囲に対処を求め、生き延びるためとも理解できます。ですから「人間は怒りに満ちている」とも言え、そこで自らを振り返ることができないと、いじめや戦争にまで至りかねず、大きな地獄をつくり出してしまいます。

ですから、仏教は怒りを鎮(しず)めるための方法を示しています。僕が感動した本の一つである、中村元先生の著書『慈悲』(講談社、2010年発行)には、慈しみが、怒りに対する最大の対抗手段だと書いてありました。慈悲は、相手の怒りだけでなく、悲しみ、苦しみまでも感じ取って、自分が成し得る範囲でその人のために尽くしたり、苦しみから開放されるように祈ったりする行いのことです。そのため、他のために行動する利他行とは、慈悲を基にしています。

慈悲のない利他行は、コスパ重視の行動と変わりません。ギブ・アンド・テイクばかり求めていたら、乾いた人間関係になってしまい、ますます虚しさを覚えるでしょう。どんなに立派に見える行いでも、その裏に自分本位な心があったら利他行にならないわけです。慈悲に基づく利他行は、人の心が癒えて、自己の苦しみをも取り去り、一体感を得られることにつながります。

――利他行の実践で心がけることは

我田引水のようですが、一人ひとりがほんの少しカウンセラーになったような立ち位置で人と向き合うというのはどうでしょうか。カウンセリングの専門技術は不用で、ほんの少し優しい言葉遣いを心がけて、最後まで話を聴き切ります。相手に対して「尊敬」の心を持つこともお勧めです。ここでいう尊敬とは、自分では計り知れない相手の可能性を信じることです。

生きていく中で、皆、多かれ少なかれ心に傷を持っています。つらい思い出、寂しさ、あるいは報われなかった気持ち、それらは年を重ねるごとに増えていき、減ることはありません。どんな人だってそれなりに傷ついている。だからこそ会話をする時に、優しさを忘れないようにしたい。仏教には「愛語」という素晴らしい言葉もあります。利他の第一番目、誰でもできるけれど奥深い利他行とは、相手にかける言葉ではないかとも思います。

人から発せられた言葉は、善くも悪くも記憶に残ります。僕も日に1、2回はイライラしてしまうことがありますが、「いまの言葉遣いは乱暴だったかな」と振り返ることで、次第に普段から優しい言葉遣いをしようと意識できます。

気づいた時だけで良いのです。少し言葉に気をつけるだけで、周りの環境も次第に変わってくることが分かるようになるでしょう。

プロフィル

なこし・やすふみ 1960年、奈良県生まれ。近畿大学医学部卒業。精神科医。相愛大学、高野山大学、龍谷大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。大阪精神医療センターにて、精神科救急病棟を設立。テレビ・ラジオでコメンテーター、YouTubeチャンネル開設など幅広い分野で活躍する。

書籍紹介

『虫坊主と心坊主が説く 生きる仕組み』
養老孟司・名越康文 著
実業之日本社
定価1760円(税込)