【国境なき医師団 手術室看護師・白川優子さん】紛争地の看護師として、いのちに寄り添い生きる希望へつなぐ

――それでも、MSFの活動を続けたのはなぜですか

帰国後、知り合いのジャーナリストに相談してみたところ、強く説得されたのです。「あなたは看護師なのだから現場に戻って命を救いなさい」と。その後、再び派遣された地で、看護師という職業の素晴らしさに気づかされました。

きっかけは、空爆によって両足に重傷を負った少女との出会いです。ふさぎ込む彼女に毎日話しかけていましたが、反応はなく、心身の痛みにじっと耐えているようでした。帰国が迫ったある日、最後に、と声をかけてみました。あなたを覚えていたいから、一緒に写真を撮らせてほしいと伝えました。すると、シャッターを切る瞬間、彼女が微笑(ほほえ)んでくれたのです。私の手を握り、笑みを浮かべる彼女を強く抱きしめました。看護師だから、私はあの子の笑顔を見ることができた。寄り添おうと手を握り、いつも心にとめていたから、きっと彼女は私に笑顔を向けてくれたのでしょう。

紛争地に十分な医療物資はありません。医療行為で戦争を止めることもできない。そんな現実と限界を知った上で、私たちに求められているものは何か。それは状況に応じて最善の医療を提供すること。それは病気や傷の治療だけでなく、時には手を握り、言葉をかけ、心に寄り添う行為だと気づいたのです。恐怖や絶望、憎悪が渦巻く地で、誰かが傍らで手をとり、思いを寄せてくれることが、人に生きる希望を与えるのかもしれない。それが看護の力であり看護師の使命だと教えられました。

イラクでの医療援助活動。患者と触れ合う白川氏(写真提供・国境なき医師団)

紛争地を訪れ 肌で感じた“国境のない世界”

――近著『紛争地のポートレート』には、派遣先での人々との交流が描かれています

紛争地にも日常があり、私たちと同じように平和を願い、家族や友人を愛する人々がいることを伝えたかったのです。

私が赴いた国や地域ではさまざまな紛争が起きていました。けれど、市民の生活の場に、民族や宗教による対立を見たことはありません。シリア北部のクルド自治区で人道援助に共に取り組んだシリア人女性スタッフから、こう言われたことを覚えています。

「彼女はクルド民族で、私はアラブ民族。私たちが本当に対立しているように見えるかしら? 私たちは幼稚園の頃から一緒に歌ったり踊ったりしてきた仲なのよ」

そう言って彼女は、クルド人女性スタッフと腕を組みました。仲むつまじい二人の姿を目にして、頭上に爆弾が降り注ぎ、街中で銃撃戦が繰り広げられる世界の先には、民族や宗教を超えて手をつなぎ、笑い合い、共に生きようとする人々が存在することを知ったのです。そして、そんな“国境のない世界”は地球のそこかしこにもう実現していることを、私は10年以上、数々の紛争地を訪れながら肌で感じてきました。

――ウクライナ危機など世界に戦禍は絶えません。市民にできることは何でしょうか

ウクライナでの戦争が始まって以降、MSFにはロシア人からの応募が増えています。動機のほとんどが「この戦争はロシア人の本意ではない。ウクライナの人々を支援したい」というものです。ロシアには、戦争に反対する声を上げられない人がものすごく多いのだと思います。ロシア市民はとても胸を痛めていて、平和を取り戻したいという気持ちはウクライナの人々と同じなのです。

国や人種といった違いを超え、市民は仲良く暮らしたいと願っていても、為政者や権力者の横暴によって戦争に巻き込まれてしまいます。戦争は国際社会の力だけでは止められません。市民の力が不可欠です。紛争地の看護師をしてきた私は、日本の方々に現実を伝えなければとの思いから、さまざまな媒体で発信してきました。皆さんには、ぜひ平和への思いを行動に移してほしいと思います。国際NGOへの寄付や街頭募金への協力など、身近な取り組みからでいいのです。世界では今も人道危機が起きているという事実を心に留め、思いを馳(は)せていくことが、紛争地に生きる人々の希望につながると信じています。

プロフィル

しらかわ・ゆうこ 1973年、埼玉県出身。坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校卒業。オーストラリアン・カソリック大学看護学部卒業。日本とオーストラリアで看護師の経験を積んだ後、36歳で国境なき医師団(MSF)に参加。手術室看護師として、イエメン、シリア、イラクなどの紛争地を中心に10カ国、18回の緊急医療援助に従事。現在、MSF日本事務局で採用業務を担当。著書に『紛争地の看護師』(小学館)、『紛争地のポートレート「国境なき医師団」看護師が出会った人々』(集英社)など。