作家・石井光太氏 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)を発刊 子供たちの言葉を奪う日本社会の問題に迫る
本紙の連載「現代を見つめて」の著者で、作家の石井光太氏が7月30日、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)を出版しました。
序章の中で、小学生が『ごんぎつね』を読み、物語の一場面について話し合う様子が描写されている。登場人物の兵十(ひょうじゅう)の母の葬儀が行われる場面で、村の女性たちが大鍋で煮ているのは何か、がテーマだ。「母の死体を消毒している」「死体を煮て溶かしている」――そこで語られる子供たちの考えは非常に現実離れしているが、決してふざけているわけではない。彼らは物語の背景や心情を捉えられないのだ。想像力の欠如がうかがえる。
文科省の定義によると、国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四項目を言う。学校の国語の授業では、国語力の土台となる「聞く」「話す」「読む」「書く」という言語活動を年齢に応じて段階的に引き上げていく。文学の世界を通し、文章から登場人物の行動や心理をくみ取り、言葉による表現を身につけることは、人間が生きていくための基礎といえる。しかし、国語力が育まれていかないと、子供たちは人の言葉や会話を「文脈」で捉えられず、本当に言いたいことを他人が理解できるように伝えられない、人の気持ちが分からない、人間関係をうまく築けないといった問題へと発展してしまう。
本書では、そうした事例を多く取り上げる。一~三章では家庭、学校、ネットにおける子供たちの実態を検証。四~六章では不登校やゲーム依存の子供たち、少年院に入所する子供たちを対象に行われる国語力再生への取り組みに光を当てる。さらに、七、八章では日本の国語力育成の最先端教育について考える。
著者は長年ノンフィクションの現場を渡り歩く中で、若者の国語力の低下を感じていたという。著者が思う国語力とは、社会という荒波に向かって漕(こ)ぎ出すための「心の船」だ。「語彙という名の燃料によって、情緒力、想像力、論理的思考力をフル回転させ、適切な方向にコントロールするからこそ大海を渡ることができる」と語る。
本書の取材は、新型コロナウイルスの流行と同時に幕を開けた。コロナ禍によって社会は著しく窮屈なものになり、学校でもプライベートでも活動が制限された。マスクで表情が見えづらく、給食や休み時間に友人と気ままに話すことさえままならない。さらに家庭格差までもが深刻化した今の日本社会で、子供たちを救うために何ができるか――。国語力から見える日本社会の問題に目を向けた一冊。
石井光太著
文藝春秋
1760円(税込)