食から見た現代(15) “安心・安全”な食の時間〈後編〉 文・石井光太(作家)
この話を聞いた時、梶氏は心のこもった手作りという方針が間違っていなかったと確信したそうだ。きっとこのようにして得られる自信もまた、子どもたちが前を向いて生きていくための原動力になるのだろう。
今回の取材では、栄養士の猪爪恵里子氏(28歳)も参加してくれた。彼女は調理スタッフという特異な立場が子どもたちに与える影響を感じている。彼女の言葉だ。
「児童養護施設の中で、調理スタッフは“第三の大人”みたいな立ち位置なんです。日々の生活にかかわる職員の方々は比較的若い方が多いですが、調理スタッフはベテランの方がメインになってくる。だからこそ、子どもたちにしてみれば、話の中身によっては職員には言い出せないけど、私たち調理スタッフには打ち明けられるみたいなものもあるのです。また、食が入り口になるので気軽に話しかけられて、そこからちょっと複雑な悩みなんかにもつなげることができる。いろんな子がいるので、それにかかわる大人も多様である必要があるんじゃないでしょうか」
別の児童養護施設でも似たようなエピソードを聞いたことがある。ある女の子が調理場で調理スタッフに食事の感想を話していた時、不意にこれまで秘密にしていた性的虐待を受けた過去を打ち明けたというのだ。そういう空間、そういう相手だからこそ、緊張が解けて語ることができたのだろう。
猪爪氏はつづける。
「職員の方々にもこれは当てはまるのではないでしょうか。彼らは日常の中で子どもたちの大変な面に向き合わなければならないので、悩みをこぼすことができたり、まったく別の話ができたりする相手が必要だと思うのです。そういう意味では、子どもだけでなく、職員にとっても、第三の存在になれたらいいですよね」
私は話を聞きながら、これは中心子どもの家のような大きな規模の施設の利点だろうと感じた。小規模のグループホームでは、猪爪氏が言うような第三の大人の数がどうしても限られる。ここには自然とでき上がった役割の分担のようなものがあるのだ。
中心子どもの家で暮らす子どもたちの一部は、保護されたまま家庭に帰ることができず、中学や高校を卒業した後に社会へ巣立っていく。
こうした子どもたちの課題が、施設の庇護(ひご)下から離れた後の生活だ。家庭で育った子であれば、幼い頃から親が買い物や調理をしているのを見て多くのことを学べるし、一人暮らしをはじめても手助けしてもらえる。彼らはいきなり独り立ちするのではなく、少しずつ社会性を身につけて自立を果たすのだ。
一方、施設で育った子は、その準備期間が短いばかりか、施設を出たらすぐに一本立ちすることを求められる。ただでさえ生活習慣を覚える機会に乏しい彼らにとって、それがどれだけ大変なことかは想像に難くない。
こうした子どもに、食事の面から自立に必要な力をつけさせるのも調理スタッフの役割だ。猪爪氏は次のように話す。
「うちには自立の準備のためのキッチンなどがついているワンルームの部屋があります。自立する前に、子どもたちには一定期間、その部屋で一人暮らしの練習をしてもらうのです。職員が料理はこうするんだよ、洗濯はこうするんだよと一つひとつ教えて困らないようにする。そこで一通りのことを身につけてから新生活をスタートするようにしているのです」
中心子どもの家に限らず、大半の児童養護施設で同様の取り組みが行われている。ただし、そこで問題となるのは、一朝一夕では自立して生きていく力は身につかないということだ。
猪爪氏はつづける。
「家で親と暮らしている子なら、スーパーに野菜を買いに行ったり、冷蔵庫の整理を手伝ったり、そのままの姿の魚が料理になっていく過程を見たりしていますよね。でも、施設ではあらゆることが調理室で行われるので、そうしたことを自然に経験するチャンスが極めて少ないのです。
そのため、私たち調理スタッフはできる限り、普段から子どもたちにそれを見せる機会をつくるようにしています。調理室で一緒になって調理するというのは難しいですが、私たちがその意識を持って接しているのとそうでないのとでは、子どもたちに与える影響は違うと思っています」
たしかに家で親と同居していれば、魚を煮る前に鱗(うろこ)を取るとか、生ものはラップをして冷蔵庫に保管するとか、調味料を使いやすいように並べて置くといったことを自然と目にして真似するようになる。だが、こうした環境がなければ、そうした知識を得ることが難しい。
こうした子どもたちに必要なのは、施設を卒業した後も受けられる継続的な支援だろう。特に虐待による傷つき体験で心を病んでいたり、精神的に不安定だったりする子にはそれが当てはまる。
家庭支援相談員をしている財前美紀氏(55歳)は言う。
「現在うちにいる子どもの5、6人に1人は精神科に通院して服薬をつづけています。リストカットをくり返すような子もいる。障害者手帳を持っている子であれば、ここを出た後にグループホームに入所して、就労支援の事業所などで支援を受けながら生きていくことができますが、手帳を持たないグレーの子になるとそうなりません。
そこで私たちが頼りにしているのは、こうした子たちの就労支援をしている民間団体です。この種の団体は、社会適応に時間のかかる子を、理解のある企業に紹介した上で、アフターケアをしてくれています。私たちだけではどうにもならないこともあるので、様々な機関と連携しながら支えていくことが欠かせないのです」
両親がそろった家庭で育った健常児であっても、完全に自立するには時間とサポートが必要になる。それを踏まえれば、家庭だけでなく、経験や心のハンディまで背負っている子どもたちが、18歳そこそこで一本立ちして生きていくのは至難の業であり、継続的な支援が重要だという指摘はもっともだ。
ただし、そんな彼らもいつの日かは自分の足で立ち、パートナーを見つけて家庭を築くことになる。調理スタッフの梶氏は次のように話す。
「家庭で育っていない子たちにしてみれば、ここで私たちが作っている食事が“家庭の味”になるんです。それは一生彼らの舌に残りつづけ、将来家庭を築いた時に受け継がれるのです。私はそのことを常々自分に言い聞かせて調理をしています」
ここで朝昼晩の3度にわたって出される食事は、子どもたちにとっての家庭の味なのだ。彼らがそれを覚えれば、同じ味が次の世代、また次の世代へと受け継がれていくだろう。
調理スタッフはそのことを大切に胸にしまいながら、毎日夜明け前から調理室に立っているのである。
プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)。