立正佼成会 庭野日鑛会長 11、12月の法話から
七五三
人間を教育する、「教育」というのは本来、親の行うべきものであり、親の負うべき最も大切な仕事だということ――これは私がいろいろ学ばせて頂いたご本の中に述べられていることであります。「教育」の「教」という字は、父親が手に鞭(むち)を持っている―― “叩(たた)く”ということではないんですけども、そういう意味合いの字だそうです。父親が子どもに教える、という意味がこの「教」の字にはあるということです。そして「育」の方は、これは母親が子どもを産む時に頭から出てくる形、子どもの生まれ出る姿を表した字だそうであり、母親が子どもを養い育てる、という意味があります。「教育」というのは、あくまでも親が子どもを育てていくことが本当は中心であります。
今、「教育」というと、だいたい「学校で」というふうに考えますけれども、本来は両親――父親と母親のわが子に対する一番大事なことであり、それを端的に表しているのが「教」「育」という文字だと、そういう内容が教えられております。ですから、3歳、5歳、7歳、こうした幼い時から本当の教育ができていますと、その子たちが本当に人類を背負って立ち、その国が、また世界が、やがては平和になっていく――やがてというか、そういうことが行われていれば、もうそのことが平和であると言ってもいいかもしれません。私は11月15日になると、そのように思うのであります。
(11月15日)
人格を磨く
私たち人間がこの世に命を頂いた意味とは、どういうことかとよく考えてみますと、「人格を磨く」ということになるのではないかと、私は今ではそのように考えております。人格を磨くとは、何も経済的に豊かになる、成功するとか、社会的に地位や名誉を得ることではなくて、いかに自分がたくさんの人から喜ばれるか、それが人格を磨くことの一番大事な点であると思います。それこそが、人間の究極の目標らしいと、私は今、そんな思いでおります。
「会員綱領」にも人格完成ということがありますから、そうしたことが私たちの大切な点ではないかと思います。その意味では、私たちの日々の過ごし方、修行というものは、この日常生活が全て、自分を磨く砥石(といし)であるということです。刃物は砥石で研ぐとよく切れるようになります。私たちが人間として人格を磨いていくことも、いろいろな人とお会いして、磨いて頂くのです。布教に歩き、教会でお役を頂いて、いろいろな方と出会う。その方々から、いろいろ磨いて頂けることがあるのではないかと、そんなふうに私は思っております。
(12月15日)





